山梨県の甲府市。

富士山を背負い、広く雄大な景色が広がるこの土地に、日本で唯一の甲州印伝(こうしゅういんでん)の伝統工芸士を擁する工房があります。

その昔、江戸からも近かったこの土地で土産物として発祥し、現在は伝統工芸品にまで昇りつめた甲州印伝。

いま、この業界を若くして背負い、未来へのタスキを確実につなごうとしている一人の職人がいます。

 

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ぷっくりとした漆(うるし)の模様、色鮮やかで、やわらかい鹿革。

山梨が生んだ伝統工芸品である甲州印伝は、漆の色や柄、鹿革の色の組み合わせで、さまざまな表情を出す一品。

トンボ柄、桜柄、菊の文様や和をイメージしたモチーフがあしらわれ、お財布や巾着袋など、人々の生活に寄り添った商品を中心に作られています。

もともとは“印度伝来”という言葉が由来の“印伝”。

巷では、漆で模様をのせた革製品として知られていますが、印伝の技法発祥の背景には、日本人の食肉文化と戦の歴史がかかわっていました。

 

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甲州印伝の歴史を探ると、鎧(よろい)の歴史にたどり着いた

 

甲州印伝に使われる鹿革は、とても柔らかく、毛羽立ちが少ない。日常的に使っていても傷がつきにくく、使えば使うほど、手に馴染むようなツヤが生まれ、愛着を生んでくれるのが特徴です。

鹿革のなめしの歴史はとても深く、日本人が鹿の肉を食べていたとされる縄文時代から存在していたと言います。

※なめす…動物の皮から不要な部分を取り除き、薬品などを用いて処理することで、耐久性や重軟性、耐熱性をもたせること。なめしていない状態のものを「皮」、なめしたものを「革」と書く。

軽くて強い素材の特徴を生かし、平安時代には、武人の鎧(よろい)作りに使われ始めます。戦に負けないようにと、強靭なものを作り続けるうちに、鹿革のなめし技術が全国的に向上したと言われています。

 

d71f3ffc41d1babe336aab39cd6e1fbd_m広大な甲府盆地

 

時は流れ、室町時代になると、鉄製の南蛮鎧が主流となったことで、革製の鎧は徐々に需要がなくなり淘汰されていきます。そこで、各大名のもとで、鎧を作っていた家臣たちは、次第に印伝の技術を使い日用品などの実用的なものを作るようになりました。

当時は全国に点在するそれぞれの大名のもとに鎧を作る家臣がいたため、全国いっせいに鹿革の製品が作られていました。印伝の日用品はその生産地の多さから、供給が増えて、徐々に需要が少なくなりました。

そんな中で甲府産の印伝だけは土産物として流行りだします。

いったいなぜでしょう?

 

江戸での流行。口承で伝わった甲州印伝の個性とは

 

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江戸が消費の中心となっていた時代。この時代に甲州の地は、印伝の産地として発展していきます。全国に存在する印伝の中でも抜きんでたそのわけは、甲州印伝として他の産地とは違う確固たる『個性』を築いたからといえます。

この頃、余っていた着物の型紙を使い、革に漆で模様をつける手法が生まれました。当時において、漆をデコレーションとして用いるという、他にはないユニークな発想が評判となり、甲州印伝の名が全国に知れ渡ったのです。

通常の革の上に漆をのせるとそのまま染み込んでしまい、印伝特有のぷっくりと浮き上がる柄は出ません。漆をきれいにのせるための印伝独自の鹿革のなめし方を、なんと口伝えで脈々と継承してきたのです。こうして秘伝の方法を守ってきたことが、他の場所で同じ様な印伝が発展してこなかった理由の一つです。

江戸の末期には、甲州印伝は全国で唯一無二の存在になっていました。

 

ただの伝統工芸で高級品、そんな甲州印伝のイメージを壊していきたい

 

_MG_3426-12-min印伝への情熱を話してくれた山本裕輔さん

 

話は印伝の山本へと戻ります。

山本裕輔さんは、この印伝の工房の次世代を担う若き職人の一人です。
先代の父は、伝統的工芸品として昭和50年に認可を受けてもう30年。

その間に、甲州の地で印伝を作る会社は4軒となりました。そのうち2軒は、跡継ぎのいない60代の職人さんの工場です。

一方で、ここ20数年の間にマシンメイドの印伝製品を扱う会社が全国に数十軒ほど増えている状況でもあります。

山本さんは、印伝に似た塗料があることや、印伝のように見せた革を扱う革メーカーが存在することから、「中には印伝のネームバリューにそぐわない製造方法をされているものがあるのでは?」と、この状況を懸念しています。

「甲州印伝は一つ一つの工程が手作業で、天然の漆を使用し、鹿の革を使った物のことです。しかし、今は低コストな印伝“風”が増えています。このままいくと、現在の印伝の『産地としての甲州』は、今後弱くなっていくのかもしれません。」

「ですが、一方では印伝は工芸品で高価なもの。そんなマイナスのイメージを払拭していきたいんです。」

日々、真摯にものづくりに励む山本さんの考える「伝統」。それは、ある程度年配の人が使い、その良さを子どもや孫に直接伝えたり、贈り物をしたりして、伝承していくもの。

山本さん自身も、幼稚園の頃からプレゼントしてもらった印伝をお財布として使っていたその張本人だと言います。

 

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「自身が職人として製作する甲州印伝も、口伝えで良さを語られるような物にしたいんです。」

伝統を背負うその眼差しは、しっかりと未来を見据えています。

「私が22歳の頃に印伝の道を歩み始めた当初から、『同世代の人と印伝の話や想いを共有したい』と願い続けているんです。もっと、ものづくりの深いところに潜り込もうとするような、同じ価値観の人たちとつながっていきたい。そう思っています。」山本さんの熱のこもった言葉は、どこか人を惹きつけます。

そんな山本さんの職人を始めた頃からの変わらない想いは、今までにはない活動へと繋がっていきます。

印伝の山本は、ゲーム会社「コロプラ」のキャラクターであるクマ柄や、アイドルユニットをイメージした商品の開発や、アパレルブランドとのコラボ商品など、従来の印伝業界にはなかったデザインや取り組みに積極的に取り組んでいます。

 

_MG_3376-7-min印伝の特徴はこの独特の立体感。唯一無二のものです。

 

さらに、一貫した生産工程を活かして、スマートフォンケースのオーダーメイドも行っています。スマートフォン用のクリアケースを自身で用意し、好きな革の色と柄を選ぶだけで、自分好みのオリジナルケースを手に入れることができます。

こんな打ち出しをしているのも、興味を持ってもらうための間口を広くしたいから。

若い世代を取り込む工夫をしたことで、印伝の山本のファクトリーショップに足を運ぶお客様の年齢層は、30〜40代が中心になっていると言います。

 

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つい、息をとめてしまう。漆を革にのせる瞬間。

 

印伝の山本では、お店に併設した工房で、革の型抜き、革に漆をのせる作業、乾燥までの一連の作業を行なっています。工房の見学は、都合があえばいつでも受け入れているそうです。

まずは、鹿革が甲州印伝となる最初の工程、プレス機で型抜きをするための部屋を見せて頂きます。

ここに保管されている色とりどりの鹿革は、奈良の工場でなめしている印伝の山本のオリジナルの革です。

この棚から革を取り出し、プレス機にかけて、型をとります。荒立ちといわれる方法で、作る商品のかたちをざっくりと裁ちます。

いかに効率よく、多くの型を取るかが、職人の長年の経験で培われる技術の一つです。

 

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この部屋に隣接する、テーブルが1つだけぽつんと置かれている部屋が、甲州印伝の要、漆付けをする部屋。ここで革に漆をのせる作業を行います。

 

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部屋の壁や机に無造作に付着した漆の跡が、印伝の山本の歴史の長さを物語っています。

小さめのタッパに保管された漆は、水気が少なく、粘り気のある液体のよう。

まずは、使う分の漆を取り出して、専用の台に置き、ヘラで馴染ませていきます。

テーブルに水平に記してあるメモリに合わせて、漆をつける革を丁寧におき、マスキングテープで印をつけます。さらに、その上に型紙を合わせます。

 

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革と型紙をテーブルにセットする工程は、とても気の遣う作業。

ワンポイントをあしらったデザインの商品を複数枚製作する際、革と型紙を置く位置をずらしてしまうと、柄のポイントがずれてしまうからです。

革と型紙の位置をきっちりと決めたら、漆をのせていきます。

木のヘラに、漆を均一につけ、型紙の上へ、そっと。

 

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手前側にゆっくりと、まっすぐ、そして力強く引いていきます。

型紙が破れないよう、力加減も必要ですが、力を入れて引かないと、印伝特有のぷっくりとした感じは、出来上がらない。
この絶妙な力加減を両手で操るのが、印伝の職人の技です。

「ヘラを引く瞬間、見学者のみなさんはつい息を止めてしまうようです。」
と山本さん。

木のヘラが型紙の上をすべる「ザーッ」という音だけが、部屋に響きます。

見ている周りも緊張させてしまう理由は、きれいな模様を出すために2度塗りはできず、失敗が許されないから。

 

_MG_3442-13-minずらりと並ぶ印伝の型紙。壁一面の型紙は壮観でした。

 

漆付けに使う型紙は、伊勢型紙という種類です。柄を一つ一つ手作業で切って模様を作っているもの。職人の繊細な手仕事が込められた型紙で、とても高価なものです。

力強く漆を塗らなくてはきれいな柄はでない、だけど、力加減が強すぎては高価なこの型紙が破れてしまう。そういった矛盾から、見ている方の緊張感も増してしまうのでしょう。

周りでさえ緊張させてしまう作業を、同じ品質を保ちながら、長時間続けていく。
その集中力を長く保てることが、職人に必要な素質の一つのように感じます。

漆を塗る工程が終わったら、ゆっくりと型紙から革をはがしていきます。。

はがす作業の時も、まだ乾いていない漆にあたらないように、そっと。

 

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漆をのせた革は、次に漆を硬化させます。

温度と湿度が管理された『室(むろ)』と呼ばれる部屋の棚に移動させ、一枚ずつ棚で保管し、ゆっくりと硬化させていきます。水を張ったタライと室内クーラーで、部屋の環境を一定に保てるよう、微調整を行っていきます。

 

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硬化に要する時間は、白は約50時間、黒は約90時間と、漆の色によって異なります。きれいに硬化させるため、定期的に硬化の度合いをチェックしながら、完成を待ちます。

ここまでの一連の作業が、山本さんがこの工房で一人で行う仕事です。

 

甲州の地を、印伝の産地としてもう一度、蘇らせたい。

 

江戸時代の旅行ガイドのような書物に、土産物としての印伝に関する記述があった経緯から、甲州印伝は伝統的工芸品として認められることになりました。

その長い歴史の延長線上に、甲州印伝の職人としての山本裕輔さんが存在します。そして、これから印伝を未来につなげる重要な役割を担っている人物の一人。

お父さんが初めて認定を受け、自身が中学生の時に憧れた「伝統工芸士」という響き。山本さんは、このまま、印伝の道を進むと、最年少で伝統工芸士の資格を取ることになります。

 

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いつも漆付けをするときに使う木のヘラは、おじいさまの代から使っているもの。木のヘラに付着した漆が乾かないうちに、さらに漆を塗り、ずっと印伝を作り続けているうちにできた漆の跡を見ると、まるで道具である木のヘラ自体が骨董品のような代物にも感じます。

使い続けながら、自分の手に合うように少しずつ断面を削り、代々受け継いだヘラ。印伝の山本に伝わる、大切な仕事道具です。

 

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「印伝の職人としての仕事を、一生かけて、人々に伝えていくことができればいい」力強く山本さんはそう話します。

そのためには、まずは自身が伝統工芸士の認定を受けること。初めて甲州印伝の伝統工芸士になったお父さんに次いで資格を取得してから、印伝に興味を持つ人が、印伝との接点をもてるような取り組みを始めたいと考えています。

そして、山本さんには大事なことがもうひとつあります。

「もう一度、この場所を甲州印伝の産地として再生したい。」

甲州印伝を仕事にしたいという人が増えて、この甲州の地で生きていく。

そんな人が暮らす産地としての姿を目標にし、日々、印伝の製作に取り組み、チャレンジを続ける山本さんの姿勢や努力を、この先もずっと応援して、見届けてきたいと思います。


作者情報(一覧を見る)
美帆沼尻
沼尻 美帆

2016年、富山県・射水に移住。ローカル発信のウェブメディアを運営しながら、とある小さな港町で、まちのにぎわい作りと移住支援を中心に活動中。

https://imizuportal.wordpress.com/