「ニットに新しい可能性を」
普段、私たちの生活の中でもおなじみの編まれた生地=ニット。
実は、日本でも有数の横編みニットの産地である新潟県。その栃尾地域(現在は長岡市)で、ニットの新たなる可能性を広げようと活動しているのが白倉ニットです。
白倉ニットの工場で指揮を執るのは、日本の各工場で良く見ることができるコンピュータ横編み機の大手メーカー「島精機」を経て、家業のニット業界に戻ってきた、次期2代目の白倉龍典さん。
新潟県内の生産者が集まり立ち上がったファクトリーブランド『つもり』の代表も兼任する白倉さんの柔軟な視点に、ニット業界の未来を垣間見ることができました。
普段はあまり見ることのできないニットの世界です。
もくじ
- 下請けとニッターの違いとは?他にはない白倉ニットの二本柱
- 数多くの同業の工場をサポートしてきた経験が会社の強みに変わった
- 60台以上もの編み機がずらりと並ぶ白倉ニットの工場案内!
- ファクトリーブランドも、普通にやっていたら埋もれてしまう今の環境で。
- 編まれた中吊り広告があってもいいんじゃない?新しいニットの在り方。
下請けとニッターの違いとは?他にはない白倉ニットの二本柱
新潟県内で、ニットの産地として最も有名なのは、五泉市や見附市の周辺。
白倉ニットが栃尾(現在は合併して長岡市)の地でニットによるものづくりを行っているのは、創業当初からの、とある見通しがあってのことでした。
白倉さん「この辺りは昔から機織りの産地でした。父も元々は機屋さん※に雇われている職人だったのです。父が独立を決めた際に、今後の需要は織物よりも横編みニットの方が多くなっていくだろうと考え、白倉ニットを始めたんです。そんな経緯からか、父は今でも『とにかくいろんなことをやりなさい』と、僕が新しいことを始めることに対して寛容なんです。」
※機屋…機織りをして、生地を生産する会社のこと
「時代の先を見据える姿勢」は親譲り。
だからこそ、白倉ニットでは同業者とは、少し違った事業体制をとっています。
白倉さん「ニットの生地生産は、『ニッター』と『下請け』の仕事に分けられます。まずニッターとは、ファッションデザイナーの意図を生地で表現する役割の人。どのように編めば、デザイナーの希望通りの生地ができ上がるかを考え、それを図面に落とし込んで仕様書を作るのが基本の仕事です。そして、下請けは、ニッターのデザインした生地を実際に商品として工場で量産をする仕事です。栃尾近辺では、ニットに限らず、古くからこの下請け業を家族で生業としているところも多く、それが機織りの産地として栄えたゆえんでもあります。」
横編みニットの下請け工場としてスタートした白倉ニット。だんだんと会社が大きくなっていき、今では工場内に60台以上の編み機と、24名の社員を抱えています。下請けの規模としては大きすぎるくらいで、業態としても珍しい工場です。
たくさんの横編み機が並ぶ白倉ニットの工場
白倉さん「先々に会社を安定して回していくためには、運営の方向性を変える必要がありました。そこで、徐々に下請けに加えてニッターとしての仕事も増やすようにしてきたんです。」
こうして、現在の白倉ニットは下請け業とニッター業の二本柱で運営されています。
古くからつながりのあるニッターさんからの「下請け業」を社長が行い、新しいものづくりのプロジェクトなどをメーカーと進めていく「ニッター業」の指揮を次期2代目の龍典さんが執る体制。
白倉さん「今までの下請けのみの仕事では、自分たちが作るニットの最終製品がどうなっていくのかが分からないまま、ものづくりをしている状態でした。その後に『ほぼ日刊イトイ新聞』がプロデュースする『ほぼ日ハラマキ』のプロジェクトが始まり、自分たちの作ったモノに対して、消費者の声を直に聞けるようになったことが、会社への影響が大きかったです。『ほぼ日ハラマキ』は、編みに使う糸もオリジナルで最後の商品の袋詰め作業までを全て社内で行います。その作業の中で、社員のものづくりへの姿勢が変わっていったんです。」
『ほぼ日ハラマキ』の製作をゼロから納品まで社内で責任を持って請け負うようになったことで、製造過程や検品段階で「コレだったら使ってもらえる。コレは商品には出来ない」と、商品に携わる社員さんが、より消費者目線になれるものづくりを可能にしたのです。
「どこのブランドで販売されるのか分からない」
そんなものづくりをしてきたこれまでの白倉ニットにとって、エンドユーザーの顔が見える商品作りはとても大きな変化でした。
白倉ニットがどんどん新しいことに挑戦できるのには、白倉さんのこれまでのキャリアも少なからず影響しています。ここで、白倉さんのキャリアを振り返ります。
数多くの同業の工場をサポートしてきた経験が会社の強みに変わった
子どものころからファッションへの関心が強かった白倉さん。
高校は、新潟県内の工業高校の「テキスタイルデザイン科」に進学しました。
白倉さん「実は、小さいころはニットの生地はそんなに好きではなかったんです。なんだかニットってもっさりした感じがあって(笑)だから、家業を継ごうという気持ちもほとんどありませんでした。」
東京の文化服装学院に進学した白倉さんは総合科に所属。テキスタイルからデザインのことまで、幅広くファッションの勉強をしてきました。
継ぐ気などさらさらなかった家業へとつながる転機は、この頃に訪れました。
白倉さん「父のもとに、横編み機の大手メーカーである島精機の方から、『デザインやパターンの知識がある人材を会社で探している』と相談が持ちかけられたんです。そこで、『ウチの息子がまさにそうだな』と(笑)」
不思議な巡り合わせとも思えるようなきっかけから、白倉さんは島精機の社員として社会人生活をスタートさせました。
※白倉ニットで使用している編み機も島精機のものです
白倉さん「島精機は機械メーカーです。しかし、機械を売るだけじゃなく、購入してくれた工場さんにノウハウがない場合は、操作方法のフォローもします。私はおかげで、国内外のさまざまな会社でニットの編み立ての作業を経験できました。取引先の工場に1、2か月滞在して、社員の方たちと同じように一緒に仕事をしてきたんです。」
白倉ニットと同業のものづくりを行う、あらゆる企業の元で「教える側」として仕事をしてきた経験は、その後のキャリアの大きな武器となっていきます。
継ぐ気はなかったとはいえ、縁のある企業で働いている以上、家業である白倉ニットのことが気になり始めた白倉さん。
家業に戻ってきた白倉さんには、「どの段階で生地にキズができやすいのか、機械トラブルが起きるのはどういう状況なのか」と、業界の知識と技術が完全に身に付いていました。
それが、今から約7年前のこと───。
すんなりと白倉ニットの2代目として会社に馴染むことができたからこそ、そこから+αのことを自分で動かし始めなくてはならない使命感がありました。
白倉さん「ニッターの業務を安定させないと今後、会社がやっていけなくなることは、入社当初から感じていました。ちょうど『ほぼ日』さんとの商品開発のお話は、僕がここに戻ってきた頃から始まりかけていたので、まずは商品を形にして販売することを任されたんです。」
下請けとしてやってきた白倉ニットには、当然、これまでクライアントとして一緒に仕事をしてきたニッターさんたちとの長い付き合いがあります。
そこで白倉ニット自身がニッター業をはじめてしまうと、必然的にそんな方たちと競合してしまう……。
これを危惧した白倉さんは、アパレルブランド以外でニットを売り出す道を見出そうとしていたのでした。
白倉さん「『ほぼ日』のハラマキ作りに携わったメンバーは、それまで白倉ニットが関わっていたアパレル関連の方々とは少し毛色が違います。だから、商品の開発段階では認識の違いが生まれたりもしました。担当の方がシャツの生地を持ってきて、『こんな感じで編んでください』とおっしゃったこともありました。シャツ生地を作るのは織りの技術だから、編みでは作れません(笑)」
そんなやり取りを楽しみさえする雰囲気がチャンスにつながったのかもしれません。
白倉ニットには、新しいプロジェクトがその後も舞い込んできました。そこで現在、最も力を入れているのが、新潟県のニット技術を駆使したブランド『つもり』の活動です。
そのお話の前に、白倉ニットのパワーの源である工場内を覗いていきましょう!
60台以上もの編み機がずらりと並ぶ白倉ニットの工場案内!
工場内に案内していただくと、ずらりと一列に並んだ横編み機!
大まかな工程ごとに、白倉さんに中を案内していただきました。
コンピュータで編み立てのデータを作成
編みの世界では、コンピュータによって編み地を入力していくのが現在の主流です。専用のソフトを使って、細かく編み方を設定していきます。目が回りそうですね…。
コーンに巻きとった糸を横編み機にセッティング
業者から仕入れた糸を、機械のコーンに巻き取っているところ。機械を使った自働なので、クルクルものすごい速さで糸が動いています。
糸を巻き取ったコーンを横編み機の上に設置したら、いよいよ編み立てのはじまりです。
機械を作動させる
機械のスイッチを入れると、中央のバーが左右に機敏に動き、生地が編み上がっていきます。
このぜーんぶが横編み機の針。
ハイゲージ(目の細かい)編みになるほどこの針は細く、本数も多くなります。
皆さんのセーターの編み目はどうですか…?
機械の下からは、編み上がった生地がスルスルと出てきます。
白倉ニットは、何十種類もの生地を一度に生産しているので、一台の編み機の設定を毎日変え、数種類の生地を編んでいくことが日常茶飯事といいます。
編みあがった生地は、人の目で丁寧に検品をされて出荷!
白倉ニットでは、会社の方針としてスタッフの全員が正社員です。
だからこそ、安定して利益を生み出していくことが、スタッフを養うために必要なのです。
ファクトリーブランドも、普通にやっていたら埋もれてしまう今の環境で。
再び、未来へ向けたニットのお話を伺うことにしましょう。
まずは、白倉さんがリーダーを務める『つもり』プロジェクトについてです。
白倉さん「『つもり』は、もともとは2012年に新潟県の事業からはじまったプロジェクトです。新潟県の繊維産業をPRするために、5社の繊維関連の企業が技術を結集し、一緒に商品を作って展示会を行うことが当初の目的でした。」
『つもり』を紹介するパンフレットが事務所にも貼ってありました
日本各地の伝統工芸や生地工場とコラボレーションをしていることでも有名な梶原加奈子さんをテキスタイルデザイナーに迎え、会場は銀座のポーラミュージアム。豪華なスタッフ陣と環境が揃ったこともあり、展示会は大好評で、大手百貨店などから「販売はしないのか」と問い合わせが来るほどでした。
『つもり』は県の事業から、正式にブランドとして走りだすことに。
そこで5社の繊維企業の中で最年少でありながら代表に任命されたのが、白倉さんだったのです。
商品の企画は、各工場からアイデアを出し、デザイナーの梶原さんと相談しながら進めていきます。現在は、オンライン販売も兼ね備えたWEBサイトも制作中とのこと。
白倉さん「『つもり』の運営にあたり、各地のファクトリーブランドの情報を調べたりもしました。今は、本当にたくさんのファクトリーブランドが存在していますよね。『自分たちで最終製品を作ろう』と考えているつくり手さんたちがすごく増えてきたと思っています。ですが、その中で成功しているのは一握りだけです。『つもり』がファクトリーブランドの中に埋もれないようにするのには、どうしたらいいんだろうと、いつも考えているところです。」
「ファクトリーブランドに埋もれる」
数年前には、こんな言葉を聞くことはなかったかもしれません。ファクトリーブランド自体が珍しく、注目を浴びていた時期は終わり、良質な工場発信のものづくりが街に溢れた時、それぞれの工場はどのような差別化を図るのでしょうか。
ものづくりの産地や生産者の方々が、自らブランドを立ち上げて発信しようとしていくのは素晴らしいこと。しかし、その動きが活発になりつつあるからこそ、白倉さんの葛藤が生まれたのも、事実です。
白倉さん「『つもり』の商品のタグには、5社の中のどの会社がどんな想いで作ったのかが書かれています。それを消費者の方々に知ってもらえれば嬉しいなと。しかし、その反面で、『それって本当に消費者は知りたいんだろうか』と悩むこともあるんです。」
本当は、商品そのものの魅力で勝負していきたい。
白倉さん「ファクトリーブランドのウェブサイトを見ると、工場の写真を背景に使用していたり、機械が動いている様子を動画で流していたりと、似たり寄ったりな印象になってしまいがちだなと思って……。最終的なシナリオとしては、そういうアピールをしなくても、ブランドとして『つもり』のファンになってくれる人を増やしたいと思っています。モノの良さで惹かれて、実はそれがファクトリーブランドの商品だった、くらいの方がいいなって思うんです。」
そのためにはPRを上手に行って、ブランドの認知度を上げていかなくてはなりません。製造業の人たちは、これが得意でないために苦労しているところも多いのが現状です。『つもり』も、その例外ではないのです。
白倉さん「今後も工夫を重ねながら、『つもり』をより多くの方々に知ってもらいたいです。」
さらに、白倉ニットのミッションは、こうした合同プロジェクトだけには留まりません。
編まれた中吊り広告があってもいいんじゃない?新しいニットの在り方。
今後目指していることはありますか?と聞くと、白倉さんは瞳を輝かせながら語ってくださいました。
白倉さん「製造側は、クライアントの商品を作りながらみんな思ってるはずです。『技術を総動員すれば、もっと面白いものづくりもできるのにな』って。白倉ニットとしても、『ニットって実はもっといろんなことができるんだよ』と発信していきたいです。」
必ずしもデザインに頼りきるのではなくて、技術を売りにしたテキスタイルを作り出していきたい。現場の技術的チャレンジを生み出し、今までにないテキスタイルや、ものづくりを提案していく。これこそが、白倉さんの野望です。
白倉さん「横編みの分野は、同じ機械に同じ設定をして、同じ糸さえあれば、ほぼ間違いなく同じものができるんです。だから、業界の中ではノウハウがあまり必要ない分野とも言われています。その中で白倉ニットにしかできないものを作るには、社内にアイデアからものづくりまでできる機能を持たせることが大事なんです。」
白倉さんの指揮のもとでニッターの業務を行うのは、地元の服飾関連の学校を卒業して新卒採用された、若い女性たちが中心。
白倉さん「彼女たちには商品の企画から袋詰めまで、さまざまな作業をしてもらっています。新卒採用はリスクがあると思われがちですが、ゼロからこの業界に入る分、固定概念がないことがメリットでもあるんです。今後も社員数は増やしていければと思っています。」
「新しさ」を生み出す白倉ニットでは、育成を必要とする新卒の人材こそが、かえって戦力になりうるのです。
若い社員さんたちには、積極的に自分のアイデアを活かしたものづくりができる環境が与えられています。
若手の社員さんがゼロから手がけた靴下
白倉さん「若い子たちが好きなものを作れるチャンスを与えて、さらにしっかりと利益を出す経験をできるようにしています。栃尾地域の一角に、地元の商工会が運営している小さな店舗があるのですが、そこに並ぶものを自分たちで企画して作ってもらっています。」
栃尾地域には、現在もたくさんの機屋さんがありますが、機織りをする中で出る余った糸は、捨てようとすると産業廃棄物としてお金がかかるんです。かといって、生地を作り出すには長さが足りない…。白倉さんは、余ったそれらの糸を使い、靴下を作っておみやげ品にするアイデアを思いつきました。
ホールガーメントの機械。靴下がそっくりそのままの形になって出てきます
白倉ニットには、「ホールガーメント※」という最新の編みの技術を採用した機械も設置されています。これを利用して、若い社員さんたちがデザインをした靴下を作っています。
※ホールガーメント…通常のニット衣類は別々のパーツを編んだ後で縫い合わせてできているのに対し、一着まるごとの状態で編み機から直接編成される画期的な技術
白倉さん「余った糸を再利用しているからこそ、同じデザインのものはないので、それがかえって人気の理由になっているんです。」
ここでも、新しいアイデアが成功を収めているようです。
「ああしたら面白いんじゃないか、こうしたら新しいんじゃないか」と、あれこれ常に考えているうちに、白倉さんの思い描くニットの未来の話は、どんどん広がりを見せます。
白倉さん「以前、とあるスポーツブランドのイベントで、ニットのオブジェを制作したことがあったんです。こうしたイベントのプロモーションにも、もっとニットを活用してもらいたいです。それから、広告媒体にもニットを使ったら面白いと思うんですよ。例えば、電車内の中吊り広告。広告って、人に見てもらえたらまず100点ですよね。例えば、中吊り広告をニットで作ったら自然と触ってみたくなりません?見て、さらにその広告を触ってもらえたら、120点じゃないですか…!」
規模としては縮小傾向にある繊維業界ですが、今までの「ニットはマフラーかセーター」なんて、使い道に縛られなければ、白倉さんの話す通り、編み物としてのニットにも新たな活路が見つかって行くと思います。
「機産地の職人は、『自分たちには最終製品が作れない』とみんな言い切っちゃうんです」と白倉さん。
業界の主流となっているそんな仕組みを自ら打破し、時代の新しい感覚を取り入れる白倉ニット。横編みニット業界を牽引する存在として、「白倉ニットにしかできない」どんなことをこれからも私たちに見せてくれるのでしょう。
白倉さんの綴るシナリオが少しずつ編集され、現実のものになっていくのが待ち遠しくなりました。