日本中の人々が羽を伸ばすゴールデンウィーク。この時期に合わせて開催されるイベントがいくつもある中で、百景取材班は2016年の「陶器市」に出かけてきました!
行き先は、昨年取材で何度もお世話になった栃木県の益子町の「益子陶器市」と、山ひとつ分を隔てて隣に位置するもう一つの焼き物の里、茨城県の笠間市の「陶炎祭(ひまつり)」。
二つの陶器市にお邪魔して、取材班が実際に足を運んで感じたことをレポート。それぞれの特徴をお伝えします。
読者の皆さんが今度陶器市に足を運ばれる際の参考になれば幸いです。
※陶器市・・・主に陶器の産地で毎年決まった期間に行われる陶器の販売イベント
もくじ
「かさましこ」二つの陶芸の故郷の関係と歩み
益子にて。一歩通りから外れて散策すれば懐かしい風景に出逢える
笠間焼と益子焼。その始まりはそもそも、約240年前に笠間へ滋賀県の信楽焼きの技術が伝わったことがきっかけでした。さらにその約100年後、笠間にある鳳台院の住職が益子へ焼き物の技術を伝え、益子でも作陶が始まります。
どちらの地域でも、すり鉢やかめなどの生活雑器が大量に作られ、江戸方面へ売りに出すことで、現地の人々の生活を支えました。
笠間の様子。田んぼと森を抜けて陶器市の会場へ
二つの産地に違いが生まれはじめるのは、時代の流れの影響からどちらも焼き物の売り上げ低迷に悩まされ、解決策を強いられた時代のこと。
笠間では、窯元が工房をたたんでいく中で「このまままではいけない」と考えた職人たちが、アメリカから伝わり、東京でも流行りつつあったコーヒーの文化に目を向けたこと。コーヒーカップやマグを制作し、海外への輸出が積極的に始まりました。
一方、同じころに益子では日本の民芸運動の重要人物である浜田庄司が移り住んできます。浜田氏は現地の職人たちに「用の美」の重要性を伝え、無名の職人が作った日用品の中にこそ美しさがあると説き、益子の街は民芸運動の拠点となりました。
現状に留まることなく、海外に目を向けて活路を見出した笠間と、古くから日本の人々の生活に根ざして続けられてきたものづくりの重要性を再認識した益子。
それぞれの歴史は現代へと受け継がれ、陶器市の雰囲気にも表れているように思いました。
年に2回開催、歴史風土を感じる益子の陶器市
東京から車で出発し、益子に到着するまでは三時間程度。
町中に用意された臨時の駐車場は午前11時には、ほぼ満車状態。エリアごとに分かれて出展されるテント周辺は、素敵な陶器との出逢いを求めてやってきた来場者でとても賑わっていました。
徒歩で気軽に移動できる範囲の大通り沿いにお店が集まる益子は、町全体がお祭りムード。
昨年取材させていただいた藍染工房の「日下田藍染工房」にもお邪魔すると…
陶器市に合わせて藍染や益子木綿の商品が展示販売されていました。さわやかな5月の風に、歴史を感じる藍染や草木染めの美しい生地が軽やかに揺れます。
益子陶器市の始まりは1966(昭和41)年。
毎年、春のゴールデンウイークと秋の文化の日前後に2回開催されます。
益子町内の販売店約50店舗に加えて、約500ものテントでの出店があり、伝統的な益子焼から、カップや皿などの日用品、 美術品まで販売されるものはさまざま。
また、地元農産物や特産品、食べ歩きの飲食物の販売も行われ、丸一日いても楽しめる益子の一大イベントです。
陶器市のテントを巡りながら浜田庄司記念館や、ギャラリーなどで益子のこれまでの歩みを知ることができるのも魅力です。
さらに、地域に根ざした、東京と比べても感度の高いセレクトショップやカフェがあるのも益子ならでは。陶器市の会場から一歩踏み出してみても、都心部では味わえないゆったりとした時間の中でのショッピングを楽しめます。
複数ある出店エリアやお店を余すところなく満喫したい方は、現地で配られているMAPを最初に入手して、ある程度計画を練ることをおすすめします。
手作りで始まった笠間の陶炎祭(ひまつり)
お次は茨城県笠間(かさま)市の陶器市である「陶炎祭(ひまつり)」。
こちらは、東京から向かう際は常磐自動車道で。益子〜笠間の移動時間も車で約40分ほど。スケジュールをしっかり立てれば、1日で両方を回ることも可能です。それでも百景のオススメは最低でも2日間はかけて頂きたいところ。周辺では新緑の季節ならでは爽やかな景色も楽しめます。
陶炎祭の始まりは1982(昭和57)年。個人作家、製陶所、販売店の垣根を越えて有志が集まり、出展者36名のアットホームなイベントとしてでスタートしました。
民間の手によって会場も出店のテントもほとんど手作りで行われたなごりから、現在でも出店者ごとに個性の光る世界観のテントが立ち並びます。
そもそも「陶炎祭」と書いて「ひまつり」と読むイベント名は、初期の開催に関わっていた笠間の窯元さんによる命名。1970年公開の笠間を舞台にした映画『あばれ火祭り』とかぶらないような漢字表記にしたんだとか。
毎年4月29日~5月5日に笠間芸術の森公園イベント広場で開催され、200軒以上の陶芸家・窯元・地元販売店などが、会場に集い、来場者を楽しませてくれます。
百景取材班が会場に到着したのはお昼の12時頃。益子同様、近隣の駐車場はほぼ満車状態でした。車で行く方は、会場近くの駐車場に停めるためには午前中のうちに現地へ到着した方が無難かもしれません。
緑豊かで開放的な土地を整備して作られた笠間芸術の森公園に続く、緩やかな坂道のぼっていくと、手作りの看板が出迎えてくれました。当日の晴天も影響して、雰囲気は野外フェスそのもの!
会場が一か所に固まっているので、子どもたちが道路に飛び出したりはぐれてしまったりする心配も少なく、ファイミリー層にも安心です。子どもたちが粘土遊びやろくろ体験をできる「キッズランド」もありました。
私たちが行った時には、中央ステージで作家さんが陶炎祭のために制作した土面のオークションも行われていました。益子同様、飲食系の出店も充実していて一日じゅう楽しめそうです。
益子の陶器市がその場所の風土と歴史を感じることのできるものだとすると、笠間の陶器市はどちらかというと「自由でお祭り的」な印象。海外へ焼き物の輸出を行っていた歴史背景からか、より外へ向けて開かれたオープンな雰囲気があるように感じました。
その土地の風土と、素敵な作品との出逢いがあります。
益子と笠間は、「かさましこ」というネーミングで協力関係を結んでいます。
毎日「関東やきものライナー」という直通バスが東京の秋葉原から出ていて、東京〜笠間〜益子を行き来することが可能です。
東京からいつでも気軽に行ける「かさましこ」ですが、陶器市の時期は普段よりもたくさんの焼き物と出逢える大チャンス。陶芸の体験等も積極的に行う窯元さんも存在します。
何よりも、作り手の方々から直接作品を購入できるのが一番の魅力。
作品に触れながら、どんなところにこだわっているのか、どんな想いで作品づくりに取り組んでいるのかなど、「ものづくりの背景」を直接聞くことで、そのモノに対しての感じ方も変わります。
二つの産地を訪れて共通して言えることは、さまざまな作風の陶器から、必ずと言っていいほど自分のお気に入りを選び出せること。
古くから外部の人たちを受け入れて発展してきた歴史があるからこそ、現在も日本各地から作陶をするためにさまざまな作家さんが移り住んで活動をしています。「益子焼き、笠間焼きといえばコレ!」というものだけではなく、バリエーション豊かな作風の焼き物の中からお気に入りを見つけ出す醍醐味があります。
一緒に行った人と、好みの作品を紹介しあうのも楽しいですよ。
取材班も、各々「これかっこいい!」「これ良くない?」と棚に並べられた焼き物を手にとっては盛り上がってしまいました。
つくり手とつかい手の出会いが生まれる関東の二つの陶器市。
東京からのアクセスも良いので、みなさんにとってものづくりへの関心が高まるきっかけになると嬉しいです。