地方発ファッションブランドhatsutoki(ハツトキ)デザイナーに聞く、これからの産地での働き方。
物語の舞台は200年以上の歴史を誇る播州織のテキスタイル(生地)産地である兵庫県の西脇市。
主役の村田裕樹氏は都内で4年制の大学を卒業した後、服飾の専門学校に通い卒業。その後の就職先は東京ではなく、ファッションのテキスタイル*産地へ単身で移住。
そこで産地発ブランドのhatsutoki(ハツトキ)*のデザイナー兼、ディレクターを務めるちょっとおもしろい経歴を持っています。
なぜ村田氏は東京で就職をせず、地方へと向かったのか?
着々と知名度を高めつつあるブランドを率いるそんな彼に、地方移住時の話やファッションの話、これからの地方での新しい働き方など、臨場感溢れる現場のストーリーをたっぷり聴いてきました!
※テキスタイル・・・布や織物の事を指す。主にアパレル業界で使われる言葉。
※hatsutokiについてはこちらの記事にも詳しくのっています!
もくじ
- ファッションデザイナーを目指して東京から地方へ。「Iターン」したその理由
- ファッションの産地移住者のオンとオフの過ごし方。
- 地方での拠点選びの重要さと外部の視点で起こる化学反応。地方や産地の「生」の魅力
- もっと地方の魅力を世に伝えていくためには?現地で見た産地の課題感
- ファッションデザイナー視点で見る今の日本のファクトリーブランドについて
- これからの未来に必要な働き方。日本の産地に必要不可欠なピースとは
- これからの地方に必要なこと
ファッションデザイナーを目指して東京から地方へ。「Iターン」したその理由
村田氏、今日はよろしくお願いします。いつもの調子で話します(笑)
宜しくお願いします。
今回村田氏にインタビューさせてもらったのは、地方での新しい仕事の仕方について聞いてみたかったからです。東京出身にもかかわらず、都内の会社に就職せずに播州織の故郷のテキスタイル産地の兵庫県西脇市に飛び込んでいった村田氏の活動のイロハを、いま地方での転職や就職に興味がある人にもっと知ってもらったらいいんじゃないかと思いました。村田氏はセコリ百景が取材を通して感じる、地方でこれから必要な人材にも当てはまると思っています。さっそく、どのようにして地方へ移住することになったのか、hatsutoki(ハツトキ)の物語一緒に、その経緯を教えて下さい。
そうですね。まずはなぜテキスタイル産地への移住を決めたかと言うところから。僕はまず東京都内で四年制の大学を卒業したのですが、その後に文化服飾学院へと入りファッションを勉強しました。
就職活動をしなかったってことだよね。まずそこからが普通の流れではないもんね。
そうですね。4年制の大学に在学中、就活は1社だけしてみました。でも、なんだか気持ち悪くてやめました(笑)就活をやめることを決意して、そこから東京の夫婦二人のアパレルブランドでインターンをさせてもらうことにしたんです。大学4年の春から冬までお手伝いをさせてもらいました。この他にも、「ドリフのファッション研究室」という有志の団体が行っていた、ファッションの業界人がたくさん来るイベントを手伝わせてもらってました。ここではファッション業界の中でも繊維業との繋がりが密接な人が周りに多かったです。
そんな周囲の人たちの影響で『日本のテキスタイル産地は品質が良いけど、このままでは将来まずいよね』なんて話を聞くようになったわけだよね。
そうです。実は当時は日本の何が良くて、何がまずいのかもよくわからなかったのですが、『日本の技術はすごい』というざっくりとしたイメージに惹かれ、産地を回って見ようと思いました。同時に、当時東京でアシスタントをしながら様々なブランドの服を見ていたのですが、いつの間にか面白さを感じなくなっていました。どのブランドも同じような顔(ツラ)に見えて来てしまったのです。その原因がなぜなのかは、実際に産地を回るうちにわかるようになったんです。
疑問に対する”解”が産地にあったってこと?
はい。生地の産地へ行くと東京では見たこともない、驚くような素材がごろごろありました。そしてその素材はほぼ未完成なんです。それは職人さんが思いついたアイデアを即興で形にしたようなものだったり、デザイン的にも言えることなんですが、生地がマーケティングされてなくて『商品になっていない』いわば原石みたいなものだったんです。東京の生地は産地のものと比べるとかなり完成されています。逆に言えば、商品として『完成された素材』でなければ東京の市場には出回らないということです。そうすると、産地の生地を使わせてもらえば、今まで誰も作ったことがない服が作れるのでは、と可能性を感じました。『産地に行けばまだ誰もやっていない服作りが出来る』と、疑問の解消とともに可能性を確信したんです。
その確信がすごいね。ファッションのひとつの本質を見つけたということか。大学のころから洋服は作っていたけど、東京で服作りしても面白くないって言ってたよね。『服飾の専門学校を出てブランド立ち上げました』ではもう全然面白くないと思ってた?
そうなんです。この産地の魅力って、例えると、漁師町のレストランとか農家の朝取れレストランみたいな感じだと思います。生地に新鮮さがあるんですよ。産地に行くと良い素材がゴロゴロある。それが原石のまま眠っているので、発掘して、服として完成させたかったんです。僕の場合は普通にブランドやるよりもこっちのやり方の方が全然面白いんじゃないかなって思いました。
それで、実際に産地で働く方法を探しはじめたんだ。
当時はまだほとんどファクトリーブランドってなくて、検索して最初にたどり着けたのがhatsutokiでした。ブランドの『あり方』が僕の思い描いていたコンセプトと近いなと直感的に感じ、ここなら、自分の力が活かせそうだと思いました。
※ファクトリーブランド・・・これまで受託生産がメインであった工場が、自らの手で独自に企画生産するブランドのこと
hatsutokiの製品。西脇の透き通る水の様なテキスタイル
具体的にどうやってhatsutokiの会社さんにアプローチしたの?
突然twitterとFacebookで『専任させてくれ』と社長に直談判しました(笑)
それはすごいね……。2011年の当時にFacebookをしっかり動かしている人って今ほどは多くなかったよね。
僕はいわゆる就活をやめてから、自分の就職先を探すために国内の産地や工場をネットで調べまくっていました。まず、会社のホームページ自体やSNSが導入されていることは重要な要素だと思って見ていました。何かを発信しようとしていて、変わる意思があるってことですもんね。
それで、社長さんが東京に来るタイミングで、2回ぐらい会ったんだよね?当時は会社は求人募集もしていなかったとか。
そうです。『こういう服が作りたくて、僕が入ったらこんなことをさせてもらいたい。このブランドは次の時代を作る』っていうくらいの勢いで根拠もなくプレゼンテーションをしました。僕は生意気にも『今のままではもったいない』とまで伝えました(笑)
運命的な出会いと行動力だね。
その結果、熱意が伝わって入社させてもらうことになったんです。
社長さんもすごいね。当時でSNSもやっていて、突然連絡してきた若者の話を信じてくれたんだから。誰かを雇用するってことは投資ってことだもんね。
いやー……本当にそうですね。もし僕が社長だったらって考えたら、普通は雇わないですよね(笑)
ファッションの産地移住者のオンとオフの過ごし方。
いよいよ移住先である、兵庫県の西脇へと移り住むことになった村田氏。幼いころから住み慣れた都会を捨て、移住することに対する不安とかはなかった?
特に不安はなかったです。面白いことは自分で作るものだと思っていたし、絶対に地方の方が誰もしていない仕事ができると確信していたので。
力強い。西脇でのプライベートの時間はどうしてたの?
最初は会社所有のアパートに入居しました。休日は情報収集としてずっとネットサーフィンしてましたね(笑)あとは本を読んだり、カメラをやってました。移住当時はもちろん友達もいないから、ずっと一人遊びしてましたよ。もともと嫌いじゃないんですけど。
ひとり遊び(笑)じゃあどんな人が地方で移住して働くにはに適してるとかって感じる事はある?
自分で楽しみが見つけれる人じゃないと、移住は厳しいのかも。よく、『どこで遊ぶの』って聞かれることがあるんですが、これは都会の考え方なんだなと最近気が付きました。田舎の人達は、自分たちで遊びを作り出すことに長けています。皆で集まって七輪を囲ったり、芋煮や、餅つき、流しそうめんも定番です。古い家や納屋を改装したり、庭に植物を植えたり。田舎で楽しむ術はたくさんあります。
それでは、東京から移住して、今までの仕事の面を振り返ってみてどう?
ブランドはやっと面白くなってきているところです。でも実はいまの楽しいと言える状態になるまでには時間がかかりました。入社して社内の人に理解されて、浸透するまでが大変でした。僕は今年移住して4年目ですが、社内に自分の居場所を作るまでには3年ぐらいはかかりましたよ。
その辺は良く知らなかった。詳しく教えて。
移住当時は会社にまだhatsutokiの事務所はなくて、社長の知り合いの会社のデスクで仕事してました(笑)
他の社員さんとは別の場所ってことか。そりゃ仕方ないかもね(笑)募集もしていないところに飛び込んで行ったんだもんね。移住当時から業務でhatsutoki以外のことは何もやってないの?
そうです。僕はずっとhatautokiの専業でしたが当時の業務の比率は、hatsutokiの顔でもありテキスタイルデザイナーの小野さんでもhatsutoki20%で島田製織80%ぐらいだったんですよ。
専業だったんだね。普通はどこかの部署で人が足りてないから手を貸してくれとか良くありそうだけどね。
会社がそれだけ、hatsutokiの事業に本気だったんだと思います。僕は自分が良いと思うことしかやれない性格で、しょっちゅう摩擦も起こりました。言われたことだけを心を無にしてやっていればそれは楽だったかも知れないですが…。そんな感じで主張を押し通していたので、サラリーマンとしては全然だめだったと思います(笑)
この状況で働き続けて、徐々にブランドのディレクションを任されるようになってきたんだね。そして移住から3年が経ち、次第にhatsutokiが良い方向に進み始めて今に至るわけだね。
地方での拠点選びの重要さと外部の視点で起こる化学反応。地方や産地の「生」の魅力
最近hatsutokiの動きが面白くなってきたのは、村田氏の生活拠点を産地内で変えたことも関係あるって言ってたよね。移住当初住んでいた普通のアパートから、リノベーションした古民家に引っ越して、流れが変わったってこと?。
そうです。アパートから、古民家をリノベーションしたシェアハウスに引っ越したあたりで、僕の周りにも面白い流れが出来始めたんです。さっきも話たような面白い地域の人との交流とか。初めに住んだアパートでは自由にものづくりが出来なくて窮屈になってきたんです。そんな時に西脇の周りを見渡したら空き家が沢山ありました。街のどこかで空き家を見つけると、近所の人に『ここの大家さん知らないですか』って聞いて、空き家を探し歩いてたんですよ。
これが村田氏の新拠点「コットンハウス」様々なイベントも開催される
地方に移住する時には、その土地での拠点選びも大事なポイントなんだ。最近、学生でも産地に興味がある人が増えている傾向は感じますね。実際に産地に入って感じるよね。この他にもファッションの分野からの視点で教えて。
西脇で僕が見てきた機屋(はたや)*さんの話をすると、産地の人って自分たちがやっていることをすごいと思っていないんですよ。単純に家業として機(はた)*を動かしている場合が多いんです。灯台もと暗しじゃないけど、布を作ることが当たり前の日常過ぎて、自分たちの技術価値を過小評価してるんです。
※機屋・・・織物を織る工場のこと
※機(はた)・・・織物を作る機械の事
いわば地方の埋没資産が村田氏には見えてたんだ。
昔から当然のようにやっている織物の技法で、当の職人さんはすごいと思ってなくても、僕からみたらすごく新鮮で、可能性のある技術もたくさんあったりしますしね。発見が多いですよ。
外からの視点で地方をみることによって起こる化学反応だね。百景が取材させてもらった全国の工場や工房でも、二代目や三代目の方が家業を継ぐ前に、一度外の世界を見てきたからこそ、今までにない視点で新しいプロダクトが生まれたってケースが多々ありました。hatsutokiの場合も地元の資産や人の魅力的なネットワークに外の人=村田氏が乗っかり、面白いことが起こる構図だったんだ。
ファッションでも情報は命だと思うけど、情報格差とかは感じなかった?
いえ、全く。感じたことないです、ネットがありますからね。
そうなんだ。産地に居て服のデザインのインスピレーションはどんなところから受けてるの?
服のデザインを考えるときに、普通であれば、街でトレンドをリサーチしたり色々見たほうが良いみたいな考えはありますよね。トレンドを意識した服作りも重要ですが、田舎でも服はデザイン出来ると思っています。自然の色や、四季の流れを感じながら、そこからしか生まれない服をデザインしたいと思っています。
大量生産で服をデザインして作るとかだと、田舎では厳しいかもね。
うんうん。僕の場合は、満員電車に揺られて考えるデザインよりも、軽トラで山間を抜けて通勤している方が、良いアイデアが生まれるような気がしています。