引き寄せられるようにして江戸切子のグラスを間近で見てみると、切り出されたガラスの表面が光を反射しながらキラキラしていて、思わず「わぁ〜…」と感嘆の声を漏らしてしまいました。
江戸時代から東京で代々受け継がれる日本の伝統工芸の江戸切子には今、世界から多くのラブコールが寄せられているんです。
まずは、こちらのこまかーい細工が施された江戸切子の作品を見てください!
時間を忘れて眺めていられそうな、美しい江戸切子の数々の作品を製作してきたのは、江東区に工房を構える篠崎硝子工芸所さんです。
なんどもなんども精巧にカットされた表面は、じっくり時間をかけて職人さんが生みだした逸品です。
しかしこの美しさを実現するには、並外れた鍛錬を重ねた技術力の高さが要求されるのはもちろんのこと。だから、「どの職人さんでもこのグラスを作れる」というわけではないのです。
職人としては異例の30代で、江戸切子新作展にて江東区議会議長賞を受賞。その後篠崎さんは数々の高評価を得ています
お話を聞かせてくれたのは、現在2代目として工房を切り盛りする篠崎英明さん。若くして数多くの賞を受賞され、国の伝統工芸士にも認定されている篠崎さんだからこそ語ることのできる、伝統工芸としての江戸切子とは?
鮮やかに透き通る江戸切子の写真もぜひお楽しみください!
まずは江戸切子のキホンから
江戸切子とは、江戸時代に東京で作られていたカット模様を加えたガラス製品のこと。江東区が発祥で、その工房の多くは地区でいうと現在の亀戸(かめいど)周辺に工房が集まっています。
江戸時代は、運河を利用するために現在の江東・墨田・葛飾区周辺にガラスの製造工場がたくさんあったことから、それを材料とする江戸切子の工房はお隣の江東区に集中していたのだそう。篠崎さんの工房の近辺にも、同じように江戸切子の工房が数件あるそうです。
篠崎さん「発祥は本所周辺ですが、このあたりにあるのは比較的新しい職人の工房です。理由は、この辺は不便な土地だったために土地代が安かったから。今のように付近を地下鉄が通るようになったのは僕が大学生のころでしたからね」
今でこそ「江戸切子」と聞いてピンとくる人が増えつつありますが、篠崎さんが職人になった頃は「カットガラス」という呼び方が主流で、江戸切子という単語はほとんど死語(!)のような存在だったそうです。横文字の名前がかっこいいとされていた時代から一変し、だんだん日本の文化や伝統工芸がフォーカスされ始めたことで、「江戸切子」という名前に見直されていったのです。
最近ではアメリカのオバマ大統領が来日した際に、安倍首相と乾杯をしたグラスが江戸切子のものだったことが話題になりました。
篠崎さん「海外でも、特にヨーロッパやアメリカの方に江戸切子は人気を集めています。うちのグラスもアメリカのレストランで使用の予定です。それに以前、海外関連の職に就いている人に『江戸切子の商品は海外に持って行ったら全部売れてしまうよ』なんて言われたこともあります」
2020年に東京オリンピック・パラリンピックを控え、世界に向けて日本の伝統をアピールする意味でも、江戸切子の持つ役割は大きなものになってきています。
工房内にお邪魔しました!
取材時は忙しいタイミングにもかかわらず、工房内を見せてくださいました。中では5名ほどの職人さんが、各工程を分担して行っている最中。あちこちからガラスを削るような音が聞こえます。
江戸切子の制作工程は大きく分けると、”削る”と”磨く”に分かれます。
まずは基盤となるガラス製品に、カットする場所の印をつけていきます。篠崎硝子工芸所で使用するガラス材は主に「クリスタルガラス」。私たちが普段使っている一般的なガラスは「ソーダガラス」と呼ばれるものですが、それよりも約8倍の値段になります。透き通っていて輝きが強く、長い年月が経っても黄ばんだりしないのが特徴です。
そしてその中でも、日本のクリスタルガラスを牽引するカガミクリスタル社のものを中心に使っているそうです。逆に、篠崎さんのところでは発注を受けてカガミクリスタル社の江戸切子の製作も行っています。
ガラスをカットする(削る)工程。ここでは粗摺り(あらずり)をしてカット模様を入れ、仕上げで形を整えるという2段階に分け、少しずつ状態を確認しながら作業していきます。特に集中力が必要とされる作業。その緊迫した空気は、こちらにも伝わってきました。
冒頭でご紹介した細かな細工が施されている作品には、カット用の道具も特別な物を使います。ときには一つの作品に対して何種類も使用することも。なんどもなんども切り込みを入れていくので、1週間ほどですぐに道具の表面がすり減ってきてしまうそうです。
こちらは研磨をしている様子。もともとは、つるんとしているガラスの表面ですが、ていねいに磨きをかけることで濡れたようなつやが生まれます。ワイングラスなどは、カットの細工がされた脚の部分がきれいに磨き上げられていることで、カットの職人技がさらに引き立つんです。
工房内のそこかしこに製作途中の製品が積み上げられています。さまざまな工程を巡るため工房内では木箱に入れられてグラスが行き来しているので、順を追ってどんどん美しい製品にできあがっていくのが分かります。工程の最初の写真のような状態から、立体的でキラキラした江戸切子が誕生する工程を見ていると、まるでガラスが魔法にかけられているように見えました。
底の部分にまで細工がされています。グラスを傾けたときにちょっと見えると嬉しくなってしまいそうですね。
職人でないと型がつくれない
実際に工房を見せていただいて、ふとギモンが沸いてきたので篠崎さんに聞いてみました。
山越「江戸切子のデザインって、一般的にはどなたが担当しているんですか?図面などがあるんでしょうか…?」
篠崎さん「僕らは図面で書くんじゃなくて作っちゃった方が早いんですよ」
山越「えーー!」
篠崎さん「結局のところ、やってみないと分からないことがあるんですよ。なので量産する場合はひとつ完成したものを元に図面を起こすんです。デザイナーさんに先に図面を作ってもらったこともあるんですが、そうするとどこかで寸法のズレがでてきてしまったりもするんですよね。それほど細かい作業ってことなんです」
図面にしたものを作るんじゃなくて、カタチになったものを図面にするんですね。これは長年の経験で感覚を身に着けた職人さんだからこそできることです……。となると、またひとつ聞いてみたいことが浮かびました。
切子の職人さんが一人前になるまで
山越「江戸切子の世界で一人前になるには、いったいどれほどの時間がかかるんでしょうか?」
篠崎さん「まぁ…基本的な技術を覚えるのに個人差はありますが5~10年でしょうね」
篠崎さん「でも、10年経って技術が身についてからがスタートです。江戸切子はずっと同じデザインのものを作っていくわけではないので、一人立ちして食べていくには、毎年毎年新しいものをつくっていかなければなりません。企業からの発注を受けて製作する場合も、先方から伝えられた大まかなイメージを実際の模様にして提案していくところからが江戸切子の職人の仕事でもあるんです」
山越「じゃあ、どんどん技術を応用してアップデートしていかなければならないってことですね…!」
このほかにも、販路の確保や材料となるガラス生地の仕入れ元が揃っていることも職人として食べていくためには必要です。こうしたつながりが職人の独立に大きく関係するからこそ、「誰の元で修行していたか」といった点が重視される場面が多々あります。まさに職人さんの世界ですね。篠崎さんのところも、先代がカガミクリスタルの仕事をしていた職人さんであったつながりが、今に大きく影響しているといいます。
経験を着実に積み上げ、現在2代目として工房を切り盛りしている篠崎さんの、ものづくりへの考え方を聞いてみましょう。
人に届く商品を作る。嘘をつかない 。
篠崎さん「30代くらいの若い頃は『人があっと驚くようなすごい作品を作ってやろう』という気持ちがモチベーションでした。でも、今こうして2代目として弟子をもつ立場になって思うのは、一般の人が手に届くものを、確かな技術で作ることの大切さです。価格を下げ、うちの利益率を下げたという商品もありますが、その分江戸切子のよさを実際に使ってわかってもらえることも大事なんですよね」
販売目的で制作する商品に対し、時間をかけてじっくりと制作する作品は、現代の美術品としての江戸切子をもっと世に知らせるために大切な活動です。でも、そういった作品は年に1~2つくらいしかできません。それに、数十万円~百万円代まで値段が張ることもあって、必ずしも売れるとは限らないのです。生活を成り立たせる上でも、よいものを人の手に届く価格で作る、ということが職人さんには常に求められているのでしょう。作品(見せるもの)作りと、商品(売るもの)作りのバランス感覚が重要ですが、納期や経費の算出など現実的な要素を考えると、一筋縄ではいかない部分も…。
難しい現状の中で、ものづくりをする際に篠崎さんが心がけているのはこんなことです。
篠崎さん「嘘をつかないことです。手を抜いた部分のしわ寄せは、必ず自分に返ってくるんです。実直にものを作っていくことが、販路の担当者やお客様からの信頼につながります」
そう語る背景には、昨年、篠崎さんの息子さんも大学を卒業後に篠崎硝子工芸所に入社し、職人としての道を歩みはじめたこともひとつあるようです。
篠崎さん「例えば父親が手を抜いているところを見たら、息子は『あんなもんでいいんだな』と思うでしょう。他の弟子に対してだってそうです。だから、決して自分にも周りにも嘘をつかず、『一番いいもの』を作りたいと思っています」
さらに、篠崎さんは伝統工芸についてこう話してくださいました。
篠崎さん「伝統工芸の中には、昔からのやり方をそのまま受け継ぐべき部分と、現代に合わせて変えていかなきゃいけない部分とがあると思うんです。そこの割合はものづくりの種類によって違うけれど、一概に新しいものを作ればいいわけじゃない。その辺のちょうどよい度合いを判断していくのが、世界に発信していく上でも大事になるんじゃないでしょうか」
私たちがまず知っておかなきゃ
海外の人たちが素敵だと感じてくれている日本の伝統工芸を、そこに暮らす私たちはどれだけわかっているんだろう。篠崎さんのお話を伺いながら、ずっとそんなことが頭の片隅にありました。
職人さんを取材させていただくと、その方のものづくりへの情熱が、日本への誇りにどこかでつながっているような気がするんです。
先人たちが世界の人をも魅了するような、こんなに綺麗な江戸切子の伝統を生み出したということ。そして、それを今もなお受け継ぐだけでなく、より高い次元へと引き上げることのできる職人さんが国内にいらっしゃること。
それだけでも日本人として誇らしいな、なんて思いませんか?
2020年、東京が舞台となる世界の祭典に向けて、日本人である私たち自身がこの国の魅力を改めて再発見しておきたいし、してほしい。
そのために平成生まれの自分だからこそ伝えられることを、これからもひとつひとつ世の中から拾い上げていきたいなと心に留めたのでした。