伝統工芸が街に色濃く根付く地、金沢。
「加賀毛針」と呼ばれる美しい毛針もまた、ここで作られていることを知っていますか?
細部まで緻密に表現されたこのものづくりは、まさに芸術品そのもの。実際に釣り用の毛針として現在も使用されていることを疑ってしまうほどです。
そんな毛針づくりの技術を守り続けるのは、天正3(1575)年創業の「目細八郎兵衛商店(めぼそはちろうべえしょうてん)」さん。日本に今も受け継がれる毛針文化の元祖を築いたお店です。お話を伺って驚いたのは、その誕生秘話。もともとは城に献上する縫い針をつくっていたお店が、釣り用の毛針を制作するようになった理由には、「もはや教科書に載ってもおかしくないのでは?」と思うような歴史的背景がありました。そこには、加賀の武士たちが大きく関係していたのです。
「釣り道具と武士になんの関わりが?」
きっと気になりますよね。では、その謎を解き明かしていきましょう。
加賀藩主が認めた「めぼそ」針
目細八郎兵衛商店は、加賀前田藩が金沢の地に城を築くより前からそこに店を構え、裁縫用の針の製造販売を行っていました。その後、お城に針を納めるようになり、衣服や武具の製造、修理だけでなく、参勤交代のときの重要な備品としても重宝されていたそうです。
裁縫針は当時でも珍しいものではありませんでしたが、目細さんの針には、その中でも秀でた特徴がありました。それは、糸を通すための穴が長細くあけられているところ。そこには、「糸をより通しやすく」という職人のこだわりがあったのです。
商品へのこうした細かい工夫と、それを実現できる高い技術を評価して、当時の藩主はその針に名前を授けます。それが、目細針のはじまりでした。
その後、明治時代になり一般市民も苗字を名乗ることを許可された際、そのまま”目細”と名乗ることに。だから、日本中を探しても、この苗字は目細八郎兵衛商店の一族の方々しかいないのだそうです。歴史の長さを感じるエピソードですよね。
現在でも目細さんの縫い針は多くの人々に愛用され、金沢の伝統工芸を影で支える、重要な役割を担っています。
では、加賀毛針はここからどのようにして生まれたのでしょうか。
武士が考案した「日本初」の毛針
取材に応じてくださった店主の目細勇治さんが、その歴史を教えてくださいました。
目細さん「加賀毛針の発祥を語るには、金沢(加賀)で鮎釣りが盛んになった理由をお話ししなければなりません。当時、加賀の前田家は外様大名のため、築城や土木工事、兵力、城主家臣の忠誠心に至るまで、江戸幕府からの厳しい監視下にありました。そのため、加賀藩が武芸を積極的に奨励すれば、謀反の疑いをかけられてしまいます。そこで、藩主は武士たちに鮎釣りを奨励したのです」
「武芸の稽古の代わりになぜ鮎釣り?」と思いませんか?でも、これもれっきとした武士の鍛錬につながっているのです。
当時の釣竿は、約8mもの竹でつくられていました。それを上げ下げするだけで、かなりの握力と筋力が必要です。さらに、現在のように川原が整備されているわけではないので、大きな石がごろごろ転がっている、不安定な足場を移動します。それに加えて、魚はすぐには釣れないので、忍耐力と集中力が欠かせません。
心身をともに鍛える絶好の機会が、鮎釣りだったのです。
そのときに武士たちは、魚をかかりやすくするために、目細針を手で折り曲げて使用しました。さて、なんとなくお気づきでしょうか。これが目細針の新しい用途として、加賀毛針が生まれたエピソードです。
さらに江戸時代後期になると、戦のない平和な時代が訪れます。すると下級武士たちの仕事はなくなり、生活がだんだんと厳しい状態に…。そこで、内職としての毛針づくりも盛んになっていきました。
「美しさ」を追求する加賀のスピリット
ただ釣りをすることが目的なのであれば、加賀毛針は誕生しなかったはずです。針の先に餌をつけ、魚がかかりやすくすればいいだけのことですから…
でも、そこにも「美」を求めるのが、加賀の人々の精神に根付いたこだわりでした。こうして、魚釣り用の針も、「工芸品」の域にまで高められていったのです。
加賀毛針には、川面を飛び交うカゲロウや水中にすむ川虫に似せて、キジ、ヤマドリ、クジャクの羽毛、漆、金箔、蛇皮などが用いられます。それはまるで、釣りを通しての魚との知恵比べです。見た目の美しさも併せ持ち、まさに用と美を体現したひとつの完成形ともいえそうです。
この伝統技法は今でも健在で、職人さんたちの手によって一つひとつ手作りで生産され続けています。
加賀毛針ができるまで
毛針の巻き方の具体的な手順はこちら。
1、テグス付け
毛針の根元に絹糸を巻き付けます。山繭蛾(ヤママユガ)から取った本テグスを使うのが加賀針の伝統です。
2、下巻(したまき)
針の胸、腹に当たる所に金糸や赤糸を巻き付けていきます。
3、角付け(つのつけ)
羽毛を巻き、虫の尾角にあたる部分にツノ(ケンとも呼ぶ)を付けます。
4、先巻(さきまき)
ツノの元から針先へ向かって羽毛を絹糸で巻き付けていきます。
5、胴巻(どうまき)
この工程は、巻き方と羽毛のバリエーションが多数。ここで、それぞれの毛針のデザインに違いが出てきます。また、「中巻(なかまき)」といってこのあとさらに糸を巻くことも。
6、元巻(もとまき)
釣り針の根元部分に重ねて糸を巻いていきます。ここではさらに材料と色の選択が重要になります。近年のワシントン条約の影響で、天然素材が入手困難になっていますが、かつては、朱鷺の羽などで巻かれたことも。
7、髭付け(ひげつけ)
髭は追毛(おいげ)、羽根とも呼ばれ、この部分を虫の触角に例えることもあります。
8、蓑毛付け(みのげつけ)
虫の足に当たる部分です。こちらは6本の羽毛を巻きつけるのですが、水中でふわふわ動いて、魚が虫と錯覚するようにつけるのがポイントです。
取材時には、目細さんの奥様が実際に毛針を巻いて見せてくださいました。こうして毛針を巻き続けて、19年にもなるそうです。
毛針がどんどん出来上がっていく様子を写真で見てみましょう!
小さな針に細い糸や羽毛を巻いていくのは、緻密な作業の連続です。手先の器用さと、並ならぬ集中力が必要なので、1日にいくつも巻いて、大量生産をすることはできません。しかし、多くの釣り人たちから支持を得ている目細さんの毛針。釣りの解禁時期が近づくとたくさんの注文があるので、在庫が切れないよう、少しずつコツコツと巻いておくのだそうです。
目細八郎兵衛商店では、金沢で現在も毛針を巻いている職人さんたちに毛針の製作を発注しています。そのほとんどが女性で、ベテランの方だと、その毛針の名前を言うだけで商品が出来上がるというから驚きです。
釣り人の中には、「去年この毛針でよく釣れたから同じものを」と買い求める人も少なくありません。そのときに応えられるよう、職人さんたちは全く同じ製品を手作業でつくることが求められるのです。これは並大抵の経験値でできることではないですよね。
また、こんなに繊細に作られているのにもかかわらず、ひとつの毛針で100匹釣れるまでもつ事もあるほど丈夫なんです。
古いものを守り続けるだけでは伝統は途切れる
ー伝統とは、古いものを守り続けるだけでは途絶えてしまいます。ー
目細八郎兵衛商店のリーフレットにしっかりと綴られたフレーズです。
これを体現しているプロダクトが、十数年前からスタートしたフェザーアクセサリー。きっかけは、ある日お店に訪れた女性のお客さまの言葉だったそうです。
「釣りはしないけれど、こんなに綺麗なのだからブローチだったら欲しいわ」
それまで商品を購入するのは釣り好きの男性が主でしたが、このひと言にヒントを得て、アクセサリーとしての毛針づくりがはじまりました。
はじめに誕生したのが、大きな魚用の釣り針を毛針にし、ピンをつけたブローチ。その後、イヤリングやピアスなど、バリエーションをどんどん増やしていきました。お店の一角では、お客さんが自分で毛針のブローチの製作体験ができるスペースも用意されています。
そして、この新しい取り組みはお客さまに好評なだけでなく、若い職人さんの獲得にも大きな影響がありました。若い女性が、自分の手で美しい毛針を、しかもアクセサリーとしても生み出せるという点に魅力を感じ、職人希望でやってくるようになったのだそうです。石川県の高等学校の工芸科を卒業し、現在23歳で毛針職人として仕事をしている方もいらっしゃるといいます。
目細さん「毛針アクセサリーのデザインなど、若い女性の感性が生かされる場面も多くあります」
目細八郎兵衛商店では、金沢全体の工芸が盛り上がるような活動にも力を入れています。金沢で目細針を使用している他の工芸品(水引、手まり、和傘など)の職人さんとコラボレーションして、商品を制作。また、北陸新幹線の開通で金沢が脚光を浴びているなかで、ワークショップなども積極的に行っています。
目細さん「ものづくりのストーリーをみなさんに知ってもらうことで、その価値をより多くの人に届け、工芸産業全体を元気にしていきたいです」
美しさと作りの良さ。
目細八郎兵衛商店さんにお邪魔して、古くから日本人が大切にしてきた、ものをつくる際の精神性のようなものが見えた気がしました。
つくりが良く、丈夫であること。そこに美しさを見出すこと。実用的であること。まさに機能と美しさを持ち合わせた「工芸」という言葉がしっくりときます。
そして、それをより多くの人に伝えるために、現代風にアレンジする老舗の挑戦。守り続けるだけでは途絶えてしまう。このフレーズが、心に刺さりました。