組子(くみこ)はまさに木の織り成すパズルです。
元々は障子(しょうじ)に使用する細かい装飾であり、この技法は国内の木工職人の技術中でも、極めて精巧な仕事と言えるかもしれません。この世界で一人前の職人になる為には、実に10年以上を要します。
その昔、鹿沼の組子職人たちが自分の技を競い合い、より美しい細工を施すべく、複雑な模様を描き出したと言われています。組子では、1ミリレベルのズレが生じるだけでもうまくカチッと組み合わせる事ができません。
日本のものづくりが、いかに緻密であったかを物語っています。
日本人が生み出した繊細な組子に、並々ならぬ情熱を持ち、街に点在する腕の確かな職人さん達を束ね、鹿沼組子の未来を背負って立とうとする方にお話を伺いました。
栃木県鹿沼市。
産地に息づく沢山のストーリーが溢れています。
美しき日本のものづくり鹿沼組子(くみこ)
栃木県の鹿沼市は、徳川家康が祀られた日光東照宮を建立する際や、建立から100〜200年後の修理の際、材木の下準備をするための中継地として栄えました。
周囲の山には質の高い杉やひのきなど材料が豊富で、戸・障子・雨戸などいわゆる建具が数多く生産されていました。
昭和24年には『木工指定集団地』の指定を受けるほどで、時を経て現在でも、この鹿沼には多くの木工職人達が軒を連ねます。
鹿沼では実用的な木工の技術に加え、見た目の美しさを追求した今回スポットをあてる組子の技術も同時に発達していきます。
組子とは障子で使われる骨組みにあたる、桟(さん)よりも細いもので、釘や金具を使わずに組み上げる物を指します。美しさが求められるため、木材の品質にはかなり気を使います。
中でも、檜(ひのき)が最も職人さんの技が活き、日やけによる経年変化も美しいそうです。
鹿沼組子は造形の細かさ・美しさから書院障子や欄間(らんま)で使用され、和室を飾る贅沢品としての地位を築きました。
基本の組子の形だけでも、麻、桜、桐などを模した、計48種類があります。
この基本形をベースにし、そこから先の発展系は職人さん達腕の見せ所。
競争と創造の世界。
この木を組み合わせる技術は、日本独自の技術で、欧米だけでなく中国や韓国でもあまり見かけない技術だそうです。
鹿沼や組子にまつわるたくさんのエピソードを話してくれた豊田社長
鹿沼と麻の深~い関係
実は、鹿沼は国内の麻(あさ)の一大産地でもあります。
麻は縄文時代から衣類・縄などに利用され、日本人の生活に根付いてきた素材です。
この鹿沼の地は、木材だけではなく、麻にとっても最適な気候条件であったようです。
3ヶ月で2メートルにも育ち、鹿沼の麻はその品質にもかなり定評があります。
2メートル!ものすごく大きいんですね麻って。
一面に広がる麻はそれはもう美しくて、皆さんにぜひお見せしたいくらいだなぁ。
グングン伸びる麻に、我が子の成長を願いを重ね、子供の着物にも使用されていたようです。
でもほら、今の皆さんのイメージで麻というと、「たいま」の問題が頭をよぎるでしょう。昔は実際、栃木の麻農家でもこの問題がつきまといました。夜な夜な各地から大麻目当ての人が集まってきて、警察や農家の人が取締りのために寝ずの番をしていた時期もあったんですよ。今は麻に神聖な意味があることを知ってる人は少ないんじゃないかなぁ。
麻畑とはどんなものなのか、皆さんも検索してみてください。豊田さんが見せたいと言ってくれた事にも納得、その存在感に圧倒されます。
日本伝統の木工技術、豊田木工のこだわり
この鹿沼組子の確かな技術と、地域の象徴でもあり、神聖な麻の葉模様を組み合わせて豊田木工で作られるのが、麻の葉模様の組子。
造形の細かさ、魔除けとしての模様の由来等、そんな背景の物語が評価され、とある有名リゾートの部屋の装飾に採用されたそうです。
豊田木工では柾目(まさめ)と呼ばれる木目の美しさも必要としています。
木の板の木目は大きく、板目(いため)・柾目(まさめ)・杢目(もくめ)の3種に分類され、ここでは柾目(まさめ)と呼ばれる、年輪が平行である木目を使用します。
本当に綺麗な木目ですね。
他の木目と比べると取れる量が少なく、原料のコストは上がってしましますが、平行な美しい模様を出すには、これに変えられないんです。
確かに、ものすごく手間がかかりそうなので、コストは高くなりそうですね。今と昔では需要の数が違うと思います。昔はこの辺りは多くの木工職人さんで賑わっていたんですよね。
はい。それはもう沢山の職人がいました。しかし、近年の住宅事情である洋風建築やマンションなどの増加により、建具全般の需要の減少は顕著になっています。以前は鹿沼だけで、500〜600社ぐらいあった木工の会社も、現在では100社程度まで減少しています。
技術を残し、美しい物を世に提供したいと考えているとは言え、豊田木工も例外でなく、このままではいけないと想いから、10年ほど前から新しい取り組みに積極的にチャレンジしています。
「受け継がれている技術をいかに現代にマッチさせるか」豊田さんが一生懸命模索している新しい取り組みを紹介します。
後世に伝えたい、組子の美しさ
おおー!二階にはこんなに沢山の組子や寄木の試作品が。欄間(らんま)だけではなくて色々なものがあるんですね!
試作品は沢山ありますよ。組子は手間がかかるし、量産の方が安い。そんな理由で今は使われなくなってはいますが、本来は生活にもっと根付いていたものなので、もう一度人の近くで使われるようにしたいですね。
豊田さんは組子を現代風にアレンジし、お盆やコースターを作成したり、組子で組んだ正20面体にスピーカーを組み込んだものなど新しいプロダクトを複数試作しています。
企業やデザイナーと共同で開発をしては見たものの、高価過ぎてお蔵入りしてしまう事も多いそうです。
サンプルで埋め尽くされた豊田木工の作業場の二階は、お宝の様な鹿沼組子が沢山。
目も見張る組子の世界です。
豊田木工では、若い世代に伝統を伝えるべく、子供が体験で作ることの出来る組子のキットも作成しています。
また、豊田さんは栃木県の伝統産業振興プロジェクト「U」のリーダーとして、和紙・陶器・木綿など異業種で集まり、新しいものづくりの在り方に取り組み、東京のビックサイトで行われる展示会に出品したりなど、各種展示会に参加して国内でのアピールも積極的に進めています。
徐々に知名度も上がり、このまま着々と都心部に向けてのアピールも続けて行きます。 今は昔と違って東京も近いもんだからねえ。鹿沼からなんて日帰りでいけちゃいますよ。
そうですよね。今後の展開としてはどんなことを目指しているのでしょうか?
うーん…2つ目標がありますね。ひとつは、海外向けの販売の強化です。中国の富裕層向けに、地元栃木の高級梨と組子、日光彫りで装飾を施したフルーツの制作や、欧州むけに組子にオルゴールをいれた小物入れなどを試作中です。フルーツ自体の価値はフルーツなんだしそりゃ決まっていますけど、そこに日本の職人技術で価値を付けて販売していますよ。売れ行きも悪くはないので、今後の展開を色々考えてます。
もう一つは、組子の作成過程を見学して、実際に体験出来る施設をつくること。頭で理解し、目で見て、実際に触れて作る。感じる事によって、組子の楽しさや素晴らしさを伝える事の出来る施設を作っていきたいんですよ。
ワークショップってことですよね。活動を地道に行って、もっと多くの人に組子の素晴らしさを伝えたいんです。
響いたこ言葉。汗をかく人同士が繋げていくものづくりの未来
どうしても、高い技術力で職人さんがこだわったものを作るとコストがあがってしまい、一般の方の手には届かなくなってしまうそうです。知恵を絞りコストを抑えつつ、高い技術の確かな製品を世に供給出来ることが豊田木工さんの目指す形です。
豊田さんが『汗をかく人と、汗をかく人をつないで一緒に進んで行きたい』と最後にお話してくれたことがなんだか心に残りました。
どちらか一方に余裕があり「失敗しても仕方ない」くらいの覚悟で進めても、工芸のブランド化を継続的に成功させるのは、簡単ではない。そんな経験か直感が、豊田さんの胸の内にあるのでしょうか。
ピースをはめ込んで作る組子の様に、丁寧にひとつひとつの課題を解決していくことが地方発ブランドの未来への活路を見い出すのかも知れません。
今回は、組子の製作工程を拝見できませんでしたが、是非またの機会にお邪魔させてい頂き、皆さんにもお伝えできればと思っています!