みなさんのお家で「箪笥の肥やし」になっている着物を見たことはありませんか?

近年、呉服業界の売上が低迷している理由は私たちの「着物を着る機会」自体が少ないからとも言えます。

市場の縮小をただ嘆き、売上を無理に上げようとするよりも、消費者に対し敷居を下げて「着る機会そのもの」を創り出すことで、業界を活性化させていく。

日本古来から伝わる風合いのある生地、上田紬(うえだつむぎ)の織元で小岩井紬工房3代目の小岩井良馬さんの思い描く未来に、信州の着物文化の未来がゆだねられています。

 

戦国武将、真田氏のお膝元で広がった上田紬のルーツ

 

長野県上田市は、戦国の世において、武家の真田氏によって治められていた地域。城下町の地場産業として奨励された真田織が、現在の上田紬のルーツといわれています。

関が原の合戦での活躍によって真田昌幸・幸村父子の名が全国に知れ渡ると同時に、この上田紬も各地に知られることに。その生地の丈夫さから、「真田も強いが上田(紬)も強い。」と、当時の人々は口にしたと言います。

その人気ぶりは、現在の京都や大阪まで上田紬を運ぶ「紬飛脚」がいたほど。

「実は私たち小岩井家も、元を辿っていくと真田家とは遠縁にあたるようです。」

小岩井紬工房の三代目、小岩井良馬さんはゆっくりと落ち着いた口調でお話してくれました。

 

三代目として小岩井紬工房を率いる小岩井良馬さん

 

小岩井紬工房では、周囲の織元が機械を導入している現在でも、創業以来変わらずに手織りのみの生産にこだわっています。上田紬の織元と謳っている以上、伝統的な技法を用いることが責任だと考えているからです。

 

日本各地に紬(つむぎ)の産地がある中、上田の地で、そこに住む人たちによって丁寧にものづくりをしてこその上田紬だと話す小岩井さん。

土地の魅力を活かした素材の活用にも、小岩井さんの心意気が感じ取れます。

 

林檎染の生地で仕立てられた着物

 

こちらの「林檎染(りんごぞめ)」は小岩井紬工房で独自に開発したもの。長野県上田市の名産であるりんごの樹皮を削るところから始まり、工房内で糸を染め上げます。

 

皮をはいだリンゴの木

 

染料に使用するりんごの種類によって、出来上がる色味の濃淡はそれぞれ。これらのりんごを組み合わせ、より豊かな表情の生地に仕上げていくのが林檎染です。

 

全てがりんご由来の色でもこんなに色彩が豊かです

 

そして、上田紬の特徴のひとつに挙げられるのがその丈夫さです。「三裏(みうら)紬」の異名が、そのことを強く物語っています。

着物にした際に、裏地が擦り切れ三回修繕を繰り返すほど長い年月使っても、表の上田紬の生地には穴すら開かないほど丈夫なことから、そんな風に呼ばれるのです。

 

上田紬の反物たち。しっかりとした生地の厚みもその丈夫さを物語ります

 

小岩井さん「まだこの国で着物が普段着だった時代は、紬は庶民の中でも裕福な人たちが着ていました。当時はこの辺りの長野の田舎よりも、江戸や京都の都会で流行した生地です。現在では紬の着物はおしゃれ着として使われることがほとんど。着物を着る方は少なくなっているので、ストール、ネクタイなどの提案もしています。」

 

海外生活の中であらためて気がついた日本、そして家業の魅力

小岩井紬工房の歴史を感じる外観

 

小岩井紬工房の三代目、小岩井さんの半生を振り返ります。

「東京の大学を卒業してから、3年間、ドイツのデュッセルドルフにある日本食レストランで働いていたんです。」

海外で暮らしてみたい。

青年時のシンプルな願望から移住したヨーロッパのドイツの地で、小岩井さんは日本の魅力を再認識することになったといいます。

 

 

「島国の日本と違い、ヨーロッパは国境が地続きになっているからでしょうか。現地の人々は他の国と差別化するために自国のアイデンティティを大事にしているのを感じました。当初はドイツに永住するつもりで家を出たのですが…海外に出たからこそ日本の魅力を再認識し、戻ることにしたんです。」

海外で暮らしてみると無意識に日本と海外を比較して考える機会も増えていきます。
このことが、小岩井さんの家業について考えるきっかけとなりました。

実家が日本で脈々と着物の生地を織っていたなんて、誰にでも与えられた境遇ではありません。
その後、日本へ帰国した小岩井さんは29歳で小岩井紬工房に入ることになりました。

 

日本の呉服業界は低迷の時代に突入。自らの手で販路を広げていく覚悟を持った

 

戦後の高度経済成長期に、日本で着物の生産量がピークに達します。

上田紬の織元自体も当時は4、50軒までに増加し、小岩井紬工房では工房内に織り手が50人も働いていました。それでも、生地の生産は追いつかず、注文を受けてから出荷まで3年待ちの状態だったといいます。

 

 

しかし、世の中の経済状況は時を経て変化していきました。

オイルショックからバブルの崩壊、そして2000年代のリーマンショックが次々と日本経済を襲い、不景気で着物の売上は激減してしまいます。今では普段着のほとんどが洋服の日本では、おしゃれ着である着物にお金をかける余裕のある人が、どんどん減っていったのです。

上田市に軒を連ねた織元も、今では5軒のみとなりました。

 

 

小岩井紬工房に在籍する生地を織る織り子さんは上田さんの家族の他に3名。年齢は70〜80代の超ベテラン。

他にも、織り機を貸し出して家で織ってもらう「出機(でばた)」をしている織り子さんが10名おり、こちらは40〜60代の方々です。

 

ベテランの織り子さんたちが上田紬を少しずつ織り上げていきます

 

小岩井さん自身も、織り手としてキャリア10年以上の現役です。

上田紬の伝統工芸士の資格を持ち、つくり手であると同時に、経営者として紬の販路の拡大にも熱心に取り組んでいます。

小岩井さん「着物の販売を行う呉服業界自体の需要が少ない中、販路を開拓するのは大変です。まずは着物を着る機会自体を増やしていく必要があるんです。」

柔らかい物腰の中に、小岩井さんの覚悟を感じます。

 

呉服業界が自ら招いてしまった着物の「箪笥の肥やし」状態を変えていきたい

 

呉服業界は、全盛期の売上が約一兆八千億円。
現在では約三千億円と、6分の1までに低迷しているのが現状。

こうなってしまった理由のひとつに、自分たち作る側が「入口」しか考えていなかったことがあると自戒を込めて小岩井さんは指摘します。

小岩井さん「呉服業界は着物の販売に力を入れるばかりで、着る場所や機会などの『出口』を提供してきませんでした。その結果、現在は着物の展示販売会などでお客さんの口から『箪笥の肥やし』という言葉をたびたび聞くようになってしまったんです。」

 

 

着物は高価で贅沢なもの。

選ばれた人たちだけが楽しめるもの。

着物ブーム後期の1980年代には、呉服業界がこのようなブランディングを通して着物を作ってきました。

しかしこの着物ブームが去った今、このイメージでは「敷居が高い」と思われてしまい逆にマイナス要因になっています。

世の中に着物好きの人をもっと増やさないことには、小岩井紬工房を始めとした織元、ひいては日本の呉服業界全体の存続が厳しくなります。

そこで、小岩井さんは立ち上がりました。

 

老舗の織元が仕掛ける一大イベント「着物で街に出かけよう!」

 

着物を着る機会そのものを創っていこう──。

長野県内の着物愛好家や小岩井さんのような着物に携わる仕事に就く有志の方々が主催し、そんな取り組みが始まりました。

小岩井さん「『着物で街にでかけよう!』は2011年から年に2回、上田市内で行っています。実は、今まで着物好き同士はなかなか繋がる機会がありませんでした。このイベントを通して着物に関する垣根を取り払い、着物に興味がある人たちの横のつながりが広がるようにしています。」

 

 

着物好きの人は現在でも日本全国にいるものの、着る機会そのものは、さほど多くないのが現状です。結婚式などのお呼ばれで着物を着たとしても、周囲の人々の装いは洋服がほとんど。着物の姿は少数派なことに変わりはありません。

「着物で街にでかけよう!」のイベントは、着物を着て一堂に会することをテーマに掲げているからこそ、着物好きの人々にとって貴重な機会となっているのです。

 

上田市の中でも歴史ある景観が残る柳町地区

 

実際にイベントの参加者同士が「着物友だち」になり、今度は別の機会に着物を着てランチに出かけたりするケースも生まれています。

こうして長野県内に着物好きのネットワークが広がり、2013年から新たに追加されたイベントが「キモノマルシェ」。

このイベントではさらに着物に対する敷居を下げ、初心者から上級者まで、なんとワンコインで着物のレンタルと着付けが可能です。

着物のことをよく知らない人でもイベントを楽しめるよう、小岩井さんをはじめとした運営メンバーが毎年違ったコラボレーションを企画しています。

小岩井さん「例えば、2015年には『お菓子フェスタ』と題して、上田市内のお菓子を集めて販売しました。着物に興味がない人でも行ってみようと思えるイベントにすることで、会場に来て、実際に着物に触れてもらえればいいなと思っています。」

反響も上々で、来場者数は1回目が約150人、2回目が約300人、そして3回目が約500人と、徐々に増加。

こうして、小岩井さんたちが目指した「着る機会そのもの」の創出は、少しずつ着物業界の未来に貢献しつつあります。

 

着物文化をさらに広げたい。伝統工芸士の「きもの城下町・上田」構想

 

小岩井さん「箪笥の肥やしではなく、着物をたくさん着てもらい、その人がハッピーになることでやっと、私たちつくり手は報われると思うんです。」

着物文化の普及に想いを注ぐ3代目が次に思い描くのは、「きもの城下町・上田」構想です。
小岩井さん「例えば、京都に行くと着物姿の人ってたくさんいますよね。そんな風景が日本中にもっと増えたらいいなと思っています。そのために、ここ上田市で着物が似合うまちづくりを率先してやっていきたい。上田を、着物で出歩いていても全然違和感がない街にしたいんです。」

着物を着る機会を創り出すのには、街づくりから変える。

人々が着物に触れる機会を増やしていけば、需要も伸びていきます。

家業だけではなく、呉服業界全体を見据えた小岩井さんの提案は業界の未来への道標です。

 

 

小岩井さんのように潜在層に訴えかける視点が重要となるのは、きっと呉服業界に限ったことではありません。

今でも高度経済成長期の考え方や慣習が残る業界はいくつもある中で「より多く売るよりも先に、それに触れる人や、機会を増やす」小岩井さんの提案を知って日本の中で、古き良き文化が豊かに残っていく道標を想像することができました。

信州・上田が着物の街になったその先、さらに小岩井さんはさらにどのような未来を目指すのでしょうか。

 

店舗情報

小岩井紬工房長野県上田市上塩尻40
営業時間:不定休 9:00~18:00頃
見学無料/花瓶敷織り体験  ¥2,500(要予約)


作者情報(一覧を見る)
shiori
山越 栞

フリーランスライター・編集者
「日本のかっこいいところを見つけて、もっと多くの人に伝えたい」そんな想いで執筆・編集などに携わる。10代から始めた茶道は現在も勉強中。