淡い光が差し込む工場内。

機械に向かい合いヤスリの製造に没頭する職人たちの背中。
この場所では、どこにも真似ができないものづくりが脈々と続きます。

古くから受け継がれてきた職人技をいまに繋ぐ93歳の熟練ヤスリ職人の岡部キンさん。
生産が追いつかないほどの人気を誇る爪ヤスリ『Shiny(シャイニー)』の生みの親です。

岡部さんを筆頭に、専門家も驚くような高度な技術をなんてことない様にこなす、若手からベテランの職人さんたち。

新潟県・燕市で真摯にものづくりを続けてきたからこそ生み出された「唯一無二」で溢れる柄沢ヤスリ工場に潜入しました。

 

柄沢ヤスリを語る上で避けて通れない、精神的要の存在。

「新しい商品のサンプルができました!」

ある夏の暑い日。

数回の改良を経て、ベテランヤスリ職人の岡部キンさんが、『Shiny(シャイニー)』シリーズの原型を手に事務所に入ってきました。

 

 

会社の新戦力として誕生した爪/かかとヤスリの『Shiny』をきっかけに、柄沢ヤスリが世間にその名を轟かせたのは、2,3年前のことです。

当時を振り返り、社長の柄沢良子さんは懐かしむように話します。

 

 

「会社のアドバイザーをしてくださっていた人から『マスコミにプレスリリースを流したほうが良い』と言われました。私は最初、イヤだって言ったんです。こんなに小さい町工場、誰が相手にしますか。世間の方たちにさらされるなんて、恥ずかしいって言っていたんです。」

この頃、柄沢ヤスリでは自分たちの持つ技術を、自分たち以上に評価する人がたくさんいることを知りませんでした。

そして、54年もの長い間、現場に立ち続ける職人の岡部さんが、世間の人々にとって驚くべき存在だということも──。

 

岡部さんが開発した爪やすり『Shiny』。絶妙な優しい切れ味が人気の秘密です

 

『Shiny』の開発者である岡部さんの写真を載せてプレスリリースを流したところ、大手のテレビ局や新聞社から次々に問い合わせが舞い込みました。

岡部さん自身に注目が集まるとは、思いにもよらなかった柄沢ヤスリのみなさんはびっくり。

「だって、私たちにとって岡部さんは居てくれて当たり前の存在だったんだもの。」

柄沢さんは話します。

 

柄沢ヤスリを長年支えてきた、93歳の岡部キンさん

 

中にはこんなエピソードも。

「以前うちを訪ねてきたお巡りさんが『今、ここからおばあさんが出てきましたよね』と言ったんです。みんなキョトンとして、『おばあさん?誰??』と顔を見合わせました。岡部さんのことだと気がつくと、ついカッとなって私、相手に言ってしまったんですよ。『あのね、あなたの祖母でもないうちの社員をおばあさん呼ばわりしないでください!』って(笑)」

「岡部さんがいるだけで、現場が引き締まるんです。」

岡部さんは、柄沢ヤスリにとって「精神的な要」なのです。

何気ないけど、かけがえのない燕のものづくりの日々。
柄沢ヤスリの生産工場の営みをさらにご紹介します。

 

この地の職人が守るヤスリの技術とものづくりの魂。

 

 

燕市は、鎚起銅器(ついきどうき)、煙管(キセル)、ヤスリのものづくりで栄えた地域です。

戦後になると、ヤスリに取って代わり洋食器の生産が盛んになり、ヤスリの工場数は激減。その後、現在も燕の地で昔ながらのヤスリ作りをしているのはたった3軒となりました。

燕に残されたヤスリ工房のひとつである柄沢ヤスリは、昭和14年に創業。

金属加工やプラスチック加工、爪やかかとの手入れまで、日本で柄沢ヤスリにしか作ることができないバリエーション豊かなヤスリを生産し、多くの日本のものづくりの現場を陰で支えています。

 

柄沢ヤスリが今も作り続けている組ヤスリ*。こちらは5本組ヤスリ

※組(くみ)ヤスリ…鉄工ヤスリが大きなものを削るのに適しているのに対して、 組ヤスリは比較的小さなものを削ることが目的の小型のヤスリ。 大きさの順に5本組、8本組、10本組、12本組の名称で呼ばれ、その由来は一説には、 1枚の板から5本・8本・10本・12本のヤスリが取れたからと言われている。 断面の形状は平・甲丸・丸等12種類ある。

 

カスタムオーダーも引き受ける柄沢ヤスリには、他の工場で「できない」と断られてしまった注文も多くやってきます。時には、国内ヤスリの一大産地である広島県呉市*の大きなヤスリ工場から、「こんなのできないか?」と相談がくることも。

※日本での現在のヤスリの生産は広島県の呉市が約95%。そして、約3%を新潟県燕市が担う。

「柄沢さんのところで断られたら、他のどこに頼めばいいんだ。」

巷ではこう言われるほど、柄沢ヤスリの技術と信頼は絶対です。さらに柄沢ヤスリの評判は、いつの間にか海をも越えていました。

なんでも、ヴァイオリンの一級品である「ストラディバリウス」を作るイタリアの職人さんの中で、柄沢ヤスリを知らない人はいないと言います。

柄沢ヤスリが誇るこれらの独自技術をいまに繋ぐキーマンの岡部さん。

燕市の家庭に嫁入りして、子育てがひと段落した30代から技術を修得し、それ以来ずっと、ヤスリ職人としてこの地で粛々と働き続けてきました。

 

手際よく次々とヤスリの目立てをしていく、機械には替えることができない岡部さんの「手」

 

岡部さん「昔は一日に700や800本ものヤスリを作って、職人同士で目立て*した数を競うようにしながら働いてきました。他の仲間よりたくさん作れるように、朝早く工場に来たりしていたくらいですよ。」

※目立て…ヤスリ本体に目をつけていくこと。

話しながら柔らかく笑う岡部さん。
柄沢ヤスリの他の従業員から職人としても一目置かれる存在です。

 

年季の入った機械を使いこなし、目立てに没頭する岡部さん

 

柄沢ヤスリの人気商品、『Shiny』シリーズの目立てができるのは、工場でも岡部さんただ1人。他の職人さんが作ると、切れ味や目のバランスが微妙に変わってしまうのだそうです。

それもそのはず。
『Shiny』は何度も試作を重ねて、岡部さんが長年の技術の積み重ねを経て、ようやく編み出した絶妙な加減の切れ味がウリです。

『Shiny』は、「切れ味が良すぎると怪我をしそうで怖い」といった女性たちの意見を参考に開発されました。そこで、目の深さを従来よりも浅く、細かく刻んでいくことにより優しい削り心地を実現しました。かと言って、ヤスリとしての切れ味や商品の耐久性も譲れません。

この優しさと削りやすさのバランスを調節するのは、至難の技なのです。

 

こちらは『Shiny』シリーズのかかと用ヤスリ

 

岡部さんが職人として優れている点は技術面だけではありません。
岡部さんは、他の職人さんも敵わないような集中力の持ち主だと言います。

彼女が目立てをしているときはあまりにも作業に没頭しているため、決まりごとがあります。

柄沢さん「ウチでは、岡部さんが機械の前に座って作業をしている時に突然声をかけるのは禁止です。岡部さんに用があるときは、遠くから声をかけて気づいてもらってから、そばまで行くんですよ。」

 

工場のまとめ役の石田さん。工程を説明してくださいました

 

柄沢ヤスリを支える岡部さんを含めた職人さんは、現在6名。
この6名で、工場で生産する1本1本のヤスリの目を立てています。ここでのヤスリづくりの工程は、大きく分けて以下の7つに分けられます。

①火造り
②焼きなまし
③削り
④目立て
⑤味噌付け
⑥焼き入れ
⑦表面仕上げ

そして、この工程の中で肝となるのはもちろん、先ほど触れてきた目立ての作業。

 

 

ミシンのような形をした専用の機械に向き合い、高速で上下する刃物の下にヤスリの本体を通すことで、表面に目を立てていきます。

柄沢ヤスリにある目立て用の機械の中には、戦前から使われているものも。
部品の予備を他の鉄工所などから譲ってもらい、修理をしながら大事に使っています。

 

「これって企業秘密ですか?」識者の言葉にハッとした自分たちの技術力

ヤスリの目立ては、岡部さんの『Shiny』シリーズの難しい生産技術からも分かるように、機械とはいえ誰でも同じ様にできる訳ではありません。

 

 

職人がそれぞれ足でペダルを踏みながらアナログで機械を操作します。その他にも、ネジの調整や目立て中の手の微妙な動きなど、状況に応じて判断しなければならないことがたくさん。

全自動ではないので、人間にしかできない細やかな調整ができる反面、一つひとつに職人の感覚による判断が要求されます。

工場をまとめる石田さんいわく、ヤスリ職人に必要なのは「勘」。

加減を調整するのが一番難しい上に、その感覚はなかなか言葉では伝えられないのです。

 

 

柄沢ヤスリでしか生産できないヤスリの数々。

凄腕の柄沢ヤスリの職人さんたちが自分たちの技術の価値を理解したのは、外部からの思わぬ反応がきっかけでした。

柄沢さん「大学の先生に『これって企業秘密ですか?』と言われたんです。そのときに、私たちは甲丸(こうまる)をつけるという難しい技術を簡単にやっていたことに気がついたんです。」

「甲丸をつける」とは……?

 

湾曲した表面に、美しい目立てが細かく施されています

 

上の写真は、『Shiny』シリーズの爪やすりの側面部分。
爪の形に沿って、ゆるやかに弧を描いています。
そしてこの形を「甲丸型」と言います。

目立てをしたばかりのヤスリは、本体を裏返すだけでも目が潰れてしまいます。そんな繊細な状態で、岡部さんが切った目を潰さずに甲丸型に曲げるのは、普通に考えればとても難しい作業。
一つひとつのヤスリにじっくりと時間をかければ可能かもしれませんが、商品として量産するためにはそんなことはしていられません。

つぎつぎとこの難易度の高い甲丸型のヤスリができていく様子を見た専門家が驚き、「企業秘密を見せてくれた」と勘違いしてしまっても無理はありません。

 

味噌づけのヤスリ? 昭和から脈々と受け継がれる伝統技法

そしてもう一つ、ヤスリの製造工程の中でのポイントがなんと「味噌付け」の工程です。

 

 

なぜ、金属のヤスリ作りに味噌を使うのか……?

実はこれ、同じくに日本のヤスリの産地である広島県の呉市でも古くから受け継がれている生産技法のひとつなのです。

 

これが噂の味噌です

 

目立てをしたヤスリを、味噌を主とした液につけてから乾燥させます。
これは、その後に行う「焼き入れ」の工程でヤスリを高温の鉛が入った窯(かま)に入れて強度を増す際に、せっかく立てた目に鉛(なまり)が詰まってしまうのを防ぐためです。

さらに、焼入れで高温に熱した直後には冷水につけるので、そのときに発生する水蒸気から、ヤスリ本体を守ることもできます。

こうして焼き入れの前に味噌を付ける工程は、江戸時代にすでに定着していたと言います。

柄沢ヤスリの現場では、味噌が焼けたほんのり香ばしい香りが漂っていました。

 

熱せられた時の色で、大体の温度を判断します

 

柄沢ヤスリでは、看板シリーズの『Shiny』の他にも、古くから信頼を得てきたブランドが3種類あります。

『ボール印』は、先代が「ボールが遠くに飛ぶみたいに良く売れるように」との想いを込めて作ったもので、柄沢ヤスリの普及版ブランド。

『五万石印』は、新潟県のお米の収穫量が増加した時の記念に、高級シリーズとして誕生したブランド。

そして『つぼ力』は、両刃ヤスリというヤスリを商品化した際に作ったブランドです。柄沢ヤスリの名前同様、これらのブランド名でピンとくる生産現場の方もいらっしゃるかもしれません。

 

カゴについているマークは『ボール印』のもの

 

技術を未来へ。次世代の柄沢ヤスリの担い手を育成

最近では20代の若手職人さんも「柄沢ヤスリで働きたい」とやってくるようになりました

 

工場内を見渡すと、機械に向かって黙々と作業を続ける若い職人さんの姿がちらほら。柄沢ヤスリがマスコミに取り上げられるようになってからというもの、求人を出すと若者から応募が来るようになったのです。

柄沢ヤスリでは、唯一無二の技術を次の世代に伝えていくことを大事にしています。

 

 

いまでは25歳の職人さんも働く柄沢ヤスリの工場。
「岡部さんにとっては、孫よりも若いんですよね」現場では温かな笑いが起こりました。

岡部さん「若い人と一緒に仕事をしていると気持ちも若くなります。」

工場内の若手に対し、丁寧に技術の指導にもあたる岡部さん。
また、工場の指導係でもある石田さんも、まるで父親のように若手を見守ります。

石田さん「最近の若い人は覚えがいいからね。基本をある程度習得したら、あとはあんまりあれこれ言わずにたまにアドバイスするくらいですよ。あとはセンスだね。」

新しい機械を導入するための改装工事も始まり、柄沢ヤスリでは着々と未来への投資が進んでいます。

若き日の岡部さんが、競うようにしてヤスリの目立てをしてきた頃と変わらぬ技術が、今も続いています。

そんな工場の日常の尊さが、あのひと言に集約されていると思います。

「柄沢ヤスリさんで断られたら、どこに頼めばいいんだ。」

さまざまな世代の職人が共に働く燕三条の町工場には、穏やかさの中にも、あらゆるものづくりを支える責任と誇りを感じました。

 

〈ものづくり学校 ×セコリ百景のPROJECT〉
この記事は、ものづくり学校さんとの共同取材プロジェクトから誕生しました。三条ものづくり学校公式HP上の『日々是ものづくり』でも同時配信中です。


作者情報(一覧を見る)
shiori
山越 栞

フリーランスライター・編集者
「日本のかっこいいところを見つけて、もっと多くの人に伝えたい」そんな想いで執筆・編集などに携わる。10代から始めた茶道は現在も勉強中。