「忙しく過ぎていく日々の中で、おろそかにしているコトはどれほどあるんだろう。」
考えてみるとあれもこれも…と、きりがないですよね。
ささやかな毎日をもっと大切に、豊かに過ごしたい。
そんな想いを抱いている方にちょっと耳を傾けてほしいのが今回のお話です。

訪れたのは、谷中にお店を構える「いせ辰(たつ)」さん。
文明開化の時代から、東京の下町でものづくりを続けてきた千代紙の老舗です。

古くから人々に愛されてきたいせ辰のお店には、今私たちが忘れかけている「大事なこと」の欠片が散りばめられています。

子供の遊び道具やポチ袋などに活用されてきた千代紙を、現代の生活に溶け込ませるひと工夫や、「サンダル履きでいつでも来れるようなお店」づくりに懸ける、いせ辰さんのこだわりを綴ります。

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もくじ

千代紙の模様に込められたいせ辰の願い

ケータイの地図アプリを頼りに、千駄木の道をてくてく歩いていた私たち。到着のアナウンスが聞こえる前に「あ、きっとここだ!」と気がついたのは、その場所だけがとても鮮やかな色彩を放っていたからです。

IMGP4893のコピー【江戸の情緒を感じる可愛らしい小物が並ぶ店先と、お客さんを見送る山崎さん】

店内に一歩足を踏み入れると、店員さんが近所の方と和やかにお話をしているところでした。お店の外まで出てお客さんを見送り、私たちの取材に応じてくださったのは、いせ辰の店頭で20年ものあいだお店を見てきた山崎文代さんです。

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千代紙をはじめ、江戸時代に子供用の浮世絵として誕生した「おもちゃ絵」や和雑貨がずらりと並び、どこに視線を移してもワクワクしてしまうような店内。

_MG_4209-2のコピー-min【店内にはところ狭しと千代紙の商品が並ぶ】

いせ辰の千代紙は、職人さんの手で昔ながらの技法を用いて作られた「江戸千代紙」と、活版で印刷された「室町千代紙」というものがあるそうです。

山崎さん「そのまま額に入れて飾るなら江戸千代紙、切ったり貼ったりするのなら室町千代紙、用途によって使い分けるのがおすすめです。」

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そもそも千代紙は、どう使われてきたのでしょうか。
そして、どう使ったらいいのでしょうか。
存在は知っていても、いまひとつ、自分たちの日常と距離を感じてしまう人も少なくないでしょう。そこで、山崎さんに疑問をぶつけてみました。

山崎さん「諸説あるのですがもともとは、京都のお姫様が使う贅沢な紙として誕生したのが千代紙だと言われています。それがだんだんと江戸の庶民の手に渡り、今でいうラッピングや、お金を渡す時にそっと包んで使うモノとして利用されて来ました。私たちが子どもの頃は、『姉さま人形』という紙人形遊びが女の子に人気で、その着物に千代紙を用いていましたね。」

IMGP5075【江戸千代紙で作られた姉さま人形】

山崎さん「最近は谷根千エリアに注目が集まっているので、若いお客様も多いです。『どうやって使うんですか?』と聞かれる方が多いのですが、その際はブックカバーにすることをおすすめしています。それから葉書に貼って、大切な人にたまにはお手紙を書く、なんていうのも素敵ですよね。」

ブックカバーやお手紙になら、現代人の私たちも取り入れやすいですよね。普段読書をしたりや手紙を書いたりしない人も、千代紙をきっかけにはじめてみたくなるかもしれません。山崎さんのお話を聞いて、千代紙が溶け込んだ生活のイメージができあがっていきます。

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お店の奥には、一番大事なものを守るかのように、千代紙が収められた棚がありました。天井に届きそうなほどの高さまで積み重ねられたさまざまな千代紙。思わず手を伸ばして、一つひとつ吟味したくなります。そこへ山崎さんが優しく説明を加えてくれるのがまた嬉しいんです。

山崎さん「来てくださった方にお好きな千代紙を一つでも見つけてもらって、そこに込められた意味を覚えてもらうようにお話をしています。自分が選んだ千代紙を身近に持って大事にすることで、その人の生活が少し豊かになれば嬉しいですね。」

千代紙の模様にはそれぞれに名前と意味があります。
いせ辰の代表的な模様がこの2つです。

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大櫻(おおざくら)
ー大きく花開いた桜のように立派になってほしいと願いをこめてー

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麻の葉(あさのは)
ー丈夫で早く育つ麻の葉のように、子どもが元気にすくすく育つようにー

模様の一つひとつに意味を与え、日々の生活に落とし込んできた日本人の感性って本当に素敵ですよね。同じ模様でも配色にバリエーションがあったりして、お気に入りの一枚を選ぶのに目移りしてしまうこと必至です。

山崎さん「毎日千代紙を眺めていても、その時の気分によってそれぞれの模様の見え方が変わってくるんです。今までなんとも思っていなかった模様が、急に素敵に見えたりするから不思議ですよね。」
「ふふふ」と微笑む山崎さんご自身も、千代紙に魅せられたお一人。

山崎さん「色の名前にも情緒があります。たとえば、私たちが普段『青』と認識しているものを、職人は『新橋(しんばし)』と言うんです。『緑』は『草(くさ)』だし、『赤』は『紅(べに)』。これらは、日本で昔から呼ばれてきた色の名前です。」

平日の昼下がりの千駄木はとても穏やかな雰囲気。何百年も前の人たちにも愛されてきた鮮やかな千代紙に囲まれながらお話を伺っていると、なんだか昔にタイムトリップしたような気分になってきました。

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「ぼかし10年」職人芸が光る江戸千代紙

一枚の千代紙ができ上がるには、模様を描く「絵師」、版木を削る「彫師(ほりし)」、紙に色を重ねて形にする「摺師(すりし)」の3種類の専門的な職人さんが必要です。

現在、いせ辰の江戸千代紙は、数人の摺師さんが各自の工房で作っています。以前はテレビの取材などが入った際に作業風景を公開していたそうですが、そうするとどうしても職人さんの作業が滞ってしまうため、今ではものづくりに専念してもらうことにしています。

代々受け継がれてきた版木(はんぎ)に一色ずつ色をのせ、上から紙をかぶせて丁寧に摺っていきます。複数の色を使用する場合は、この作業を繰り返していきます。

※版木・・・木の板に文字や絵を彫って表面に色を付け、上に紙をかぶせて印刷する道具。

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【使い古した版木。これを何枚も使って、一枚の江戸千代紙が誕生します】

版木には、山桜の木を使用しています。硬くて粘りのある木の性質から、長年使用しても、版木の角がこぼれないんだそう。

「工程は浮世絵とほぼ同じ」と表現されることが多い千代紙づくりですが、浮世絵と違って千代紙は同じ柄が一面に施されます。だから、広い面積に一定の力をかけながら、均一に色を重ねる技術が求められるんです。

山崎さん「昔から『ぼかし10年』と言って、色をぼかして発色させる技術が身につくまで、10年は必要だというのが職人たちの常識です。一生かかっても『一人前』にはなれないって、彼らはきっと言うんじゃないでしょうか。」

例えば「ぼかす」技術は、色をのせた木版の上に少量の水を加え、色をわざと滲ませて、グラデーションを作り出すための方法。やり方を頭で理解できても、感覚でのさじ加減が身につくまでには相当な時間がかかるんです。

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職人さんの手作業で完成することを知ると、改めて、江戸千代紙の美しさにため息が出ます。
均一に色がのっているけれど、決してべた塗りではなくて、どこか風合いがあるんです。

この棚の前で、一日中千代紙を選んで過ごしても飽き足りないだろうな。なんて、取材班も口を揃えました。

では、これほど人の心を惹きつける千代紙は、どのようにして今日まで受け継がれてきたのでしょうか。文明開化と共に歩んできた、いせ辰さんの歴史を振り返ります。

激動の日本と共に歩んだものづくり、いせ辰の歴史

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いせ辰の創業は元治元年(1864年)。幕末の江戸、神田元岩井町で団扇(うちわ)問屋としてスタートしました。

激動の時代を乗り越え、日本は文明開化へと向かいます。そこで海外の人々からの千代紙の需要に注目した2代目が、築地にある居留地や横浜外国商館へ千代紙細工や錦絵を売り込み、ヨーロッパへと伝えることに貢献しました。

その後も千代紙の商品を中心に、時代に合ったモノを提供し続けたいせ辰は隆盛を極めます。ところが、そんな矢先に発生した関東大震災で、なんと大切な千代紙の版木はことごとく焼失してしまったのです。しかし、それでも職人さんの助けを借りて、焼け残った千代紙をもとに約1000種類もの版木を復元しました。

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その後も第二次世界大戦などを乗り越え、昭和17年(1942年)に現在の場所にお店を移転。関東大震災での教訓を胸に、今後震災が起こっても大丈夫なようにと、上野から山続きとなっていて地盤の丈夫な谷根千エリアが選ばれたそうです。

そして現在でいせ辰は5代目。兄妹4人が、それぞれ担当に分かれていせ辰を守って来ました。

「サンダル履きで来れるお店」の真意とは?

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山崎さん「お客様に模様の名前を覚えてもらうことにこだわっているのは、先代の言葉があるからです。『初めはウチが千代紙屋だと分からないでふらりと入ってくる方もいるけれど、そういう時こそ丁寧にご案内して、千代紙を身近に置いてほしい』といつも話していた人でした。千代紙は伝統工芸だからって、あぐらをかいてちゃダメだと思います。私たちの方から、今の人々に寄り添えるご提案をしていくべきだと思っています。」

いせ辰では、代々続く模様を生かしつつ、配色を現代の人が好むようなものにしたり、ブックカバーなどのように使い方を提案したりと、消費者へ歩み寄る姿勢を大事にしています。夏休みの時期には、ワークショップも開催しているそう。それは、一時的に千代紙に「ハマる」のではなく、日々に取り入れて、長期的に使ってほしいからです。

代々、人々の生活に寄り添うことを考えてきたいせ辰には、こんな決めごともあります。

山崎さん「いせ辰は、お正月の2日から営業を開始して、他は年中無休です。この場所にお店を移して70年以上、それはずっと変わっていません。」

「遠くからでも、千代紙を目当てに人が来てくれた時に、閉まっていたら申し訳ない。いつでもサンダル履きで気軽に来てもらえるような、近所の千代紙屋さんでありたい」いせ辰には代々受け継がれたお客様への想いがあります。

お店でお話を伺っている間も、平日にもかかわらずふらりと立ち寄る人がちらほら。その中には海外の方もいらっしゃいました。英単語でのコミュニケーションでも、丁寧な接客には変わりない山崎さんです。

きっとこうして、いせ辰の人々は何代も前から海外の商人さんともやり取りをしてきたのだろうな、と絵が浮かびました。

大事にしたい人やモノに千代紙を添えて

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取材後、私たちも一枚ずつ千代紙を選ばせてもらいました。

悩んだ末に自分で選んだ一枚は、誰かに自慢したくなるような、はさみで切って分けてあげたくなるような、でもはさみなんて入れたらちょっともったいないような…。
でも、その「ちょっともったいない」という気持ちが大事なんじゃないかと思いました。

ちょっともったいないけど、
あの人にこれを貼ったお手紙を書いてあげたいな。

ちょっともったいないけど、
この本は大事にしたいから、カバーに使おうかな。

なんでもない日々を大切に、豊かに過ごすためには、「ちょっともったいない」くらいのこだわって作られたモノを普段使いするのがいいのかもしれません。

いせ辰さんは、谷中で今日も門戸を開いてくれています。ふとした日常に彩りを加えるチャンスは、誰でも、いつでも与えられているんだな。

そんなことを考えました。


作者情報(一覧を見る)
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山越 栞

フリーランスライター・編集者
「日本のかっこいいところを見つけて、もっと多くの人に伝えたい」そんな想いで執筆・編集などに携わる。10代から始めた茶道は現在も勉強中。