みなさんの日々の食卓には、どんな陶器が登場しますか?

日本には様々な焼き物の産地があります。その中でも古くから日本人の生活に寄り添ったものづくりを続けてきたのが、栃木県の益子(ましこ)町です。「益子焼」と聞いて、ぴんとくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回セコリ百景は、その益子で最大の※窯元(かまもと)で、創業150年を超える老舗の「つかもと」さんにお邪魔してきました。工房を案内してくださったのは、元職人の営業部課長の関教寿さん。

お手軽な価格で購入できる益子焼の秘密とは?そこに込められた職人の想いとは?

紆余曲折を経ていまに至る益子焼と、つかもとの密接な関係を伺いながら、日本の焼き物づくりの今後が見えたような気がしました。

※窯元…陶芸によるものづくり(=作陶)をするところ。そこで作陶する陶芸家の苗字をとって「◯◯窯」とよばれる。つかもとの場合は塚本窯が前身。

 

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まずは益子焼の歴史から、一緒に紐解いていきましょう!

 

目次

 

日本の焼き物、益子焼の歴史を知る

益子焼のはじまりは江戸時代。山をひとつ隔てたお隣の茨城県笠間(かさま)市から職人が移住してきたのが始まりです。この土地ではたくさんの粘土が採れ、焼き物に色をつける際に使う釉薬(ゆうやく)の原料も豊富なことから作陶が盛んになり、かめ、すり鉢、土釜、土鍋など庶民の台所用品が主に製造されてきました。

※釉薬…焼き物に塗るうわぐすりのこと。熱が加わるとガラス質になるため、水に強く、艶やかになる。

また、益子焼について語るには、浜田庄司氏(以下敬称略)のお話をしなくてはなりません。

浜田庄司は、日本を代表する陶芸家の一人。大正時代の半ばにイギリスに渡り、そこで作陶を始めたのち、帰国後は益子を定住の地に選びます。益子で陶芸家として活動する傍ら、仲間と共に「民芸運動」を行い、日本の工芸界に大きな影響を与えました。

民芸運動では「美は生活の中にある」という考えのもと、各地の風土から生まれ、生活に根ざした工芸品にこそ、用に則した「健全な美」(=用の美)が宿っていると主張されました。この主張は当時の日本に新しい美の価値観を与えたのだそうです。運動の功績が讃えられ、浜田庄司は1955年に初代の人間国宝(重要無形文化財技術保持者)にも認定されました。

「用の美」の精神は、当時の益子にも浜田庄司本人によって広められ、多くの職人さんたちが強い影響を受けました。それまで台所用品がほとんどだった益子焼は、このときに民芸品(花瓶・茶器・食器・火鉢など)の生産へと移行していき、現在の益子焼にも、その特徴は受け継がれているといいます。

 

益子でつくる=益子焼?

 

_MG_9720棒状に固められた粘土。こちらは機械生産用です

 

益子には今でも約400の窯があるといわれています。益子焼=「益子で作られるすべての焼き物」と思ってしまいますが、必ずしもそうではなさそうです…。

ものづくりの町として成り立つ益子の陶芸家は、地元の人ばかりではありません。益子焼を作られている職人さんの他にも、美術系の大学を卒業後、作品作りのために外から移り住んできた作家さんもたくさんいます。

関さん「浜田庄司がそうであったように、この土地には古くから外部の人を受け入れる寛容さがあるんです。

だからこそ、益子では新しい技法を用いた若手作家さんの作品も多く見られ、人々を楽しませてくれます。ただ、それだけでは伝統的な技法が衰退してしまいます。つかもとでは、益子の粘土と益子焼特有の釉薬という伝統的な部分に「デザイン」を融合させ、現代に合った益子焼の商品開発に取り組んでいます。

 

IMGP0331益子の伝統技法「打刷毛目(うちはけめ)」を皿の縁にあしらった平皿。白い泥を塗る際に刷毛で打ち付けるようにずらしていきます

 

_MG_9702工房内には、大きな容器に入った釉薬がいくつもあります

 

益子焼に用いられる代表的な釉薬(ゆうやく)は5種類あります。

柿釉(かきゆう)
芦沼石(あしぬまいし)の粉末を原料とし、焼くと落ち着いた渋い茶色に。

糠白釉(ぬかじろゆう)
籾殻(もみがら)を焼いた灰を原料とし、焼くと白色に。

青磁釉(せいじゆう)
糠白釉に銅を加えて作ります。焼くと深みのある美しい青色に。

並白釉(なみじろゆう)
主成分は大谷津砂(おおやつさ)と石灰で、焼くと透明に。

本黒釉(ほんぐろゆう)
鉄分を多く含むため、焼くと黒色に。

 

IMGP0333つかもとの「ゆず肌黒釉」の平皿。ゆずの皮のようにざらざらした表面の焼き方は、時代と共に少なくなってしまった益子焼の特徴のひとつです

 

取材時には益子の人々と何度かお話をさせていただくことがあったのですが、会話の節々に「つかもとさんのところでは〜」といった話題がでてきました。つかもとが「益子最大の窯元」として益子での安定した地位を獲得している理由はどこにあるのでしょう?そこには窯元としての規模の大きさだけではなく、不況の影響に悩む益子の陶芸家たちを救った、心強いエピソードがあるのです。

 

益子焼衰退の危機を救った「塚本窯の釜」

民芸運動は確かに工芸界に新しい価値観を生み出しましたが、その間も機械生産の加速が続いていたのも事実。益子の陶芸家たちにとっては厳しい生活が続いていました。作陶を休止してしまう窯もある中、1957(昭和32)年につかもとの前身である塚本窯が作っていた釜型の容器が、信越線横川駅の「峠の釜めし」の弁当容器に採用され、脚光を浴びはじめます。すると注文が増加して、自分たちだけでは製造が追いつかなくなるほどの評判となり、このとき塚本窯は20軒に及ぶ益子の他の窯元に製造を発注しました。この製造によって、益子全体の作陶は再び持ち直すことができたそうです。

 

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関さん「以前は若手の陶芸家の育成も行っていました。経営の安定していたつかもとでは、外部の陶芸志願者を受け入れる研究生制度があって、日中はつかもとの職人として仕事をしながら、就業後の時間を使って個人の作陶を支援する体制が整っていたようです。若手用の宿舎まで完備されていたんですよ」

この制度によって、数多くの陶芸家が全国に羽ばたいていったそうです。益子焼だけではなく、陶芸の世界全体に貢献しているつかもとさんに頭が下がります。

 

_MG_9696現在はイベント時のギャラリーとしても利用されるつかもとの蔵

 

多くの職人の手で完成するつかもとの益子焼

現在、峠の釜飯の容器は、機械での製造環境が整備され、安定した数を生産できるようになりました。その傍ら、自社のオリジナル商品は15、6人の専属の職人さんの手仕事を主にした作陶が続いています。

関さんに、工房を見学させてもらいました!

 

IMGP0195-2坂の先に職人さんが作業を行う工房があります

 

IMGP0249下地に施した釉薬にロウで模様を描いているところ。この後、さらに別の釉薬を施すとロウの模様が浮き出ます

 

_MG_9719釉薬も職人さんの手作業です

 

IMGP0212窯で焼かれるのを待つ製品たち。色が濃くなっている部分には釉薬が付いています

 

これらの工程も機械化するのは可能ですが、手仕事のならではの個体差を大事にするためには、やっぱり職人さんが一つひとつ息を吹き込んでいくことが必要だそうです。

関さん「最近は技術も発展しているので、”手仕事風”の商品を機械で作ることも実はできるんです。でもその違いは、私たちプロが見れば一目瞭然。例えば機械用の型を使って、職人がろくろで作ったような線を焼き物の表面に施したとしても、全部同じになってしまうでしょう?

どんなに機械が進歩しても、どうしても人の手でなければ作り出せない風合いがあるんですね。

一方で、安定して均一な商品を作り出すことが求められる場合もあります。それが先ほどの峠の釜めしの容器です。

今回は特別に、こちらの工場も案内していただきました!両手で持てるサイズのころんとした釜が工場内を流れながら出来上がっていく様子をお楽しみください!

 

IMGP0278石膏型一つ一つに粘土が入り、機械コテで数秒のうちに成形されます

 

IMGP0290傷つけることなく次の工程へとテンポよく運ばれていきます

 

IMGP0292一度にたくさんの釜が流れていきます

 

_MG_9721丁寧に説明してくださる関さん。商品に思わず見入ってしまいます

 

本物を日常使いできる価格で。

ところで、つかもとさんの販売スペースで商品を見せてもらっていてすごく驚いたのが、価格の安さです。職人さんの手がかかって作られているのに、どうしてこんなにお手頃なんでしょうか?

 

IMGP0336益子の技法や釉薬を使ったお茶碗のシリーズ

 

関さん「元々益子焼は日常使いのために生まれた焼き物です。だから、一般の人たちが簡単に手に取れる価格でないといけないんです

5月と11月に毎年行われる益子の陶器市では、昔は食器のまとめ買いに意気込んでやってくるお母さんたちがたくさん居たそうです。今でも陶器市は大勢の人で賑わいますが、当時とは少し変わって、現在はお気に入りの一品を選びに来る人が多いんだとか。

 

IMGP0328益子の伝統技法を使った内刷毛目シリーズのマグカップ

 

関さん「昔は業界内で技術力の勝負のようにものづくりが行われている雰囲気もありましたが、ここ最近は、今までよりも職人が使う人のことを考えて作る時代になってきている気がします。例えばカップを作るのなら、何cc入るとちょうど良くて、持ち手はどれくらいの大きさだと持ちやすくて、フチはどれくらいの厚さなら口たりが心地良いか…そういうところまで、うちの商品は考えて作られているんですよ」

 

IMGP0347つかもとのショップには、益子の他の作家さんの作品も並んでいます

 

より消費者目線のものづくりが主流になってきているのですね。確かに、セコリ百景でも取り上げさせていただいているような伝統工芸を現代風にアレンジした商品がここ数年でいくつも誕生しているのにも、そういった背景があるのかもしれません。また、関さんはつかもとの益子焼商品についてこのようにもおっしゃっていました。

関さん「益子焼を通じて、人々の生活が少し豊かになるようなものづくりを目指しています。益子には多くの観光客が訪れますが、購入してもらった益子焼はお土産の一つでも単なる旅の思い出でもなく、”ちゃんと”日用品として愛用してほしいです」

 

日用品として、用の美を体現し続ける益子焼

もともと人々の生活に寄り添う形で作り続けられてきた益子焼。日本には様々な焼き物の産地があり、それぞれの特徴がありますが、その中でも益子焼の位置は極めて庶民に近い存在です。取材時には、私たちも実際に多くの益子焼を手にとって味わうことができましたが、どれもどこか親しみを感じ、自分の家にあったら毎日使いたくなるようなものばかりでした。浜田庄司が説いた民芸運動の精神は、今も益子の陶芸家のスピリットにしっかりと刻まれているようです。

ながい歴史の中で、益子をずっと支えてきたつかもとさん。量産を実現させながらも、決して手仕事の大切さや伝統的な技法の継承を忘れないその姿勢は、これからも人々を惹きつける益子を牽引していってくれることでしょう。


作者情報(一覧を見る)
shiori
山越 栞

フリーランスライター・編集者
「日本のかっこいいところを見つけて、もっと多くの人に伝えたい」そんな想いで執筆・編集などに携わる。10代から始めた茶道は現在も勉強中。