国産デニムの産地に創業して70年以上の歴史ある企業。

世界中から一流ブランドのトッ プデザイナーが来場し、新たなファッショントレンドが生みだされる、世界で最も注目されている素材展、PREMIÈRE VISION(プルミエールビジョン)。
展示素材のクオリティーを保つため、出展できるのは厳しい事前審査(商品の品質、新商品の企画力・開発力、オリジナル性、世界中へのデリバリー能力など)に合格した企業のみです。

実は、今回取材させて頂いた岡山の株式会社ショーワさん、この素材展で約700社が提出した布(約10 万点)の中から最終選考の62点にノミネートされ、審査の結果4つの賞の一つに選ばれた 、素晴らしい経歴を持ちます。

既存のデニムの常識を覆した魔法の様なテキスタイル、“ウールデニム”を開発した株式会社ショーワさんの、他社とは違う魅力とは何でしょうか?

 

株式会社ショーワのふるさと、岡山県児島地区のものづくりの歴史

岡山県の児島市は国産のジーンズで名をはせた、言わずと知れた産地です。

 

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児島地域は、歴史をひも解くと、元もとは瀬戸内海の一つの島。
江戸時代に行われた干拓により、現在の本州とつながった半島になりました。

港や塩田として発展を遂げた土地だったそうですが当時、金毘羅詣(こんぴらもうで)*が流行したことで、旅人の往来が増え活性化しました。

※金毘羅詣(こんぴらもうで)…香川の金刀比羅宮と倉敷市にある由加山の両方を参拝すること。

 

土地の塩分濃度が高いこともあり、塩につよい綿花の栽培が盛んになって行ったそうです。

時は流れ、明治から昭和にかけて社会の洋服化の流れと縫製業の近代化にともない、学生服や作業着に代表される中肉の織物に製品の主流が移り変わります。

同時に、中肉の織物であるジーンズの製造も始まり、世のジーンズ*ブームとともに成長。

こうしていつしか児島はジーンズの街へとなっていったそうです。

※デニム…太目の綿を使用し綾織りで作られた生地のこと
※ジーンズ…デニムの生地を使用して作られたズボンのこと

 

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なぜその産業が栄えたのか?を歴史的な背景から振り返ると、その産地の特徴がよく分かります。

この児島では、なぜ中肉の織物が盛んだったのでしょうか?
その答えは、地域で取れる綿花の繊維が短く、細番手(細い糸)での製造には向いていなかったからだそうです。

どんな産地にも、産地ならではの理由があります。

 

テキスタイル屋のイノベーションの源泉とは

_MG_7516左:片山副会長 右:高杉社長

 

にこやかな笑顔が印象的な副会長の片山さん。
そんな片山さんは、過去に幾度も『儲からなくてはダメ』という考えと直面して来たそうです。

商人的なことばのように聞こえますが、このことばには様々な歴史と、経済的な要因が複雑に絡まり合った時代を駆け抜けて来たからこその、重みを感じます。

第一次オイルショックのころまでは、機屋(はたや)は商社が丸抱えして、商社から生産の発注があったものを作る形が一般的でした。

◯◯mで◯◯円という世界なので、決して楽な仕事とは当時も言えなかったそうです。

しかし、オイルショックで環境は大きく変化。
軒並み、抱え先である商社も厳しくなり、コスト削減への圧力は次第に大きくなります。

 

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これまでの商社が機屋を抱える形ではなく、最も安く生地を生産できる場所へと発注する形が一般的になり、結果、価格競争が激化しました。

“機屋はどれだけ生地を作っても生活は苦しくなるばかり”
そんな、いたたまれない状況にまで陥ってしまったそうです。

片山さんは、厳しい状況であった当時をさらに振り返ります。

「流行りかけていた、ブロイラーの鶏舎の鶏と、自分たちが重なったんです。」

テキスタイルを織っては、売る。そしてまた織っては、売る。
この繰り返しでした。
自分達はいったい何の為に生産を続けているのだろうか・・・。

そんな倦怠期を迎えつつある業界の中、ショーワさんはこんな状況で力を発揮しました。

 

_MG_746650台以上の織機の上を吹き掃除をして巡回するお掃除ロボ

 

「まずはしっかりと儲けを出す必要がある。」

きっと、社内一丸となって考えたのでしょう。

これまで生成り(きなり)を織っていたところから転換し、ロープ染色(デニム生地に使用する経糸を染める技法)で経糸(たていと)を染める装置を自社で開発したそうです。

当時、機屋(はたや)が自社で糸を染めて在庫を持つことはリスクでしかなく、この行動は暴挙と言ってもいいくらい珍しいことでした。

危機的な状況の中でも自らが変化しイノベーションを生み出す。そのショーワさんの姿勢に、現在も多くのアパレル企業からの支持を受け、児島に確固たる基盤を置く企業の力強さの源泉を見た気がしました。

 

「難しいものづくり」にチャレンジする重要性

_MG_7422_edited-1パッと街に現れたテキスタイル御殿!

 

ショーワさんの法人登記は1941年(昭和16年)。
ですが、それ以前から機屋として生計を立てていたそうで、機屋としてはなんと100年程の歴史があります。

難しいテキスタイル作りにチャレンジするという現在の社風が形成されて行ったのは、前述のオイルショック以降のこと。

自社による染色の生地作成に始まり、少しづつ独自商品の開発を広げていったそうです。

そんなひたむきな努力は、いつか必ず実を結ぶものなのでしょう。

自社で作っていたダンガリーが当時の流行にカチっとはまり、一気に拡大したそうです。

それ以降、ストレッチ素材のデニムが出来ないか?など新しいテキスタイル開発に関する話も度々入ってくるようになりました。

※ストレッチデニムは今でこそ主流ですが、当時は珍しいもの。初めからうまく行った訳では無く、試行錯誤を重ね誕生したそうです。

 

_MG_7484こちらもショーワさんの得意技、二重織りでつくられるテキスタイル

 

「今でも、『どこどこのメーカーがこういう生地でよく売れているから』と人から助言され、同じ様な感じでと、生地を作ってみることもありますが、そうして作った製品はやっぱりほとんど売れないんですよ。」と片山さん。

長い期間の不断の努力によって、他ではできないもの技術の必要なものを作り出すというショーワさんのスピリットが育まれていきました。

簡単にはまねできないことです。

このショーワさんが本社と工場を構える児島地域では、過去に数十社あった機屋さんが現在ではほんの数社にまで減ってしまったそうです。

時代の変動を受けて生き残った機屋さんは、ショーワさんを筆頭に、セルビッジ(赤耳のジーンズ)を作っていたり、各社独自の強みや特徴があるようです。

自分たちにしかできない”らしさ”を追求して行くことが結果として市場に評価されることへと繋がるのかも知れません。

 

チャレンジから生まれたウールデニム

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数々のチャンジから、確信的なテキスタイルを生み出してきたショーワさん。

その中でも特筆すべきはウールデニムです。

ウールデニム。名前だけでは 「?」 ですよね。
パッと見た目は普通のデニムですが、ショーワさんが開発した、ウールで作られたニットの様なデニムのことです。

独自の二重織りの技術によって作られたこのテキスタイルは、伸縮性と堅牢性を併せ持つショーワさんの技術の結晶。

冒頭の通り、ショーワさんはまさにこの生地で、2009年のPREMIERE VISIONというテキスタイルの素材展で賞の一つでもある「ハンドル賞」を受賞しました。

PREMIERE VISIONでは世界中のトップメゾンから選出された、そうそうたる審査員が担当します。

 

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そのうちの一人の方に、世界中から集まった名品やデコラティブな生地が並ぶ中、ショーワさんのニットデニムが受賞した理由を聞いたところ「落ち感や生地のハリ・コシが素晴らしかった」という答えが返って来たそうです。

トップメゾンの方からこんなコメントをもらうとは、まさに折り紙付きの生地です。

タスマニアのオーガニックウール(農薬を使わないで育てた羊の毛)に、ショーワさん独自の技術で、ウールにインディコ染めをし、ウォッシャブルの加工もほどこしているそうです。

熟練の職人技、自社で染色をできる設備、徹底した素材管理、どれが欠けても出来ない生地です。

今でこそ賞を受賞し、国内アパレルでも使われ、雑誌に掲載されたり、人気を博している製品ですがこの信頼を得るまでに「ショーワのデニムはデニムじゃない」「痩せたデニム」などと揶揄されたこともあったそうです。

※痩せたデニムと言われた理由は、当時の主流は生地の糊を落とさずカチッとした状態で、厚手のデニムが主流。

 

僕が感じたショーワさんの魅力

_MG_7510真剣な面持ちで生地に触れる高杉社長

 

ショーワさんのビジョンは、生地は結局”人”が触れるもの。
そんな前提のもと、生地を通して”人々の心を幸せにする”ことだそうです。

そんなショーワさんの理念は、今回突然「セコリ号で行かせてください!」
と無理を言う僕たちにも快く応じて下さり、工場の案内までして頂いた高杉社長と片山副会長お二人のあたたかい人柄からもひしひしと伝わってきました。

僕はテキスタイルの専門家ではありませんが、ものづくりにおいてこの”優しさ”が人が肌に触れる商品の開発にも影響してくる、大切な”価値観”なのではないだろうかと感じています。

先述のウールデニムを開発した際も、「人が触れた時にもっと優しく。」そんなところから発想し、完成に至ったのでは?と勝手に想像しています。

“自分たちで考える・つくる・売るを続ける。難しいと言われるものほどチャレンジする価値がある”

そんな優しさだけでは無く、お二人はこうも力強く話します。

 

_MG_7438高杉社長自らが手塩にかけているコットンの芽

 

「他県の産地や、他の強みをもつ企業とコラボしていくようなことも今後はやっていきたいですね。」

今後はメイド・イン・ジャパンの強みをこれまで以上にのばし、国内・海外ともに販路を拡げていきたいそうです。

こんな前向きで素敵な企業さんが自社ブランドを作ったり、アパレルに限らず、若手のデザイナーさんと手を組んで新しいムーブメントを起こしたり・・・そんな動きをセコリ百景でお力添えしなければいけない、と勝手に色々と想像しワクワクしてしまいました。

そのためには僕たちも、企画力、影響力をもっと高めていく必要があります。

次回、お邪魔する時には、もっと別の提案やお話が出来ればいいなと思いつつ、帰り道はショーワさんのお二人にオススメして頂いた工場から車で10分程の瀬戸大橋を見下ろすことができる秘密の!?スポットまで足を伸ばしました。

絶景!
教えて下さりありがとうございます。

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作者情報(一覧を見る)
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大滝 洋之

Brightlogg,Inc.代表
歴史と伝統に敬意をはらい、ものづくりを現代の価値観で再解釈し、未来に繋げることを目指す。都内を中心に全国を巡りセコリ百景を運営する。