城端地域で栄えた絹織物のまち

石川県を離れ富山の南砺市城端(なんとしじょうはな)までやってきました。南砺市は石川県と岐阜県に隣接し、五箇山にある世界遺産「合掌集落」が有名な地域でもあります。

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城端地域で栄えた絹織物の起源は、およそ天正5年(1577年)までさかのぼります。その後、天正13年(1585年)よりこの地域を治めた加賀藩前田氏によって城端の絹織物の生産に注力されたことで、産地として発展したとされています。今から約430年前です。

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約320年前、元禄6年(1693 年)に最盛期を迎えます。城端町の総戸数689戸の内375戸が絹織物関係の仕事に携わっていたとされていて、町の至る所から機織りの音が聞こえてきたといいます。しかし、時代の移り変わりから絹はナイロンに押され、“加賀絹”として名を馳せた城端の「しけ絹」織物を生産する工場は激減していってしまったのです。

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現在、富山県で「しけ絹」を製織している工房は株式會社松井機業のみです。そして絹織物の行程を一貫して工場内で行えるのも同社のみ。代々続く絹織物をつくる松井機業さんを訪ねました。

 

松井機業の「しけ絹」とは

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通常は一頭の蚕が一つの繭をつくりますが、稀に二頭の蚕が一つの繭を創りだすことがあり、その玉繭を紡いでとった玉糸を緯糸(よこいと)に織った絹織物のことをしけ絹といいます。二頭が吐き出す糸は絡み合って節ができ、織りの行程でその節は模様となり、不均一な自然の表情として表れます。糸に負担をかけず、旧式のシャトル織機でゆっくりと丁寧に織られます。仕上がった生地は温もりのあるふっくらとした表情になります。明治時代初期まで、城端地区では、写真のような表情の「しけ絹」の生産が主流でした。

 

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6代目代表を目指す松井紀子さんは、日々しけ絹作りに奮闘しています。松井機業さんを訪問するのは2回目になりますが、松井さんに対する私の第一印象は「笑顔」の一言です。

その「笑顔」が忘れられなくて、もっと話を聞きたいという想いから今回の訪問をお願いしました。雑談を交えながら、松井さんのものづくりにかける想いをお伺いしました。

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松井さんは、生まれも育ちも城端なのですか?

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そうですね。高校まではこの城端で育ちました。小学生の頃は、親の東京出張によく付いていき、1人でディズニーランドにいったり、新宿に買い物にいったりしていましたね。

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小学生で東京の街を1人で歩くなんてすごいですね。県外の大学に行ったのですか?

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昔から東京への憧れが強かったので大学進学をきっかけに上京し、大学では環境情報学を学んでいました。
学生時代はいろいろな社会経験をしたくて飲食店を中心にアルバイトに明け暮れていましたね!
卒業後は都内の証券会社に就職し営業職を3年経験し、会社内での売り上げ成績は全国2位までになりました。

 

ベスト

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全国2位!?すごいですね!
充実した東京での生活を送られていたようですが、城端に戻る事を決めた理由は何だったのですか?

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東京で働き始めたある日、父の営業先に同席した際に絹について様々なことを知ることができたのがきっかけです。
まず驚いたのはお蚕さんを1頭2頭と数えること。お蚕さんは豚や牛よりも古い家畜とされていたことです。
さらに、蚕がつくる繭にはアンモニアを吸収したり、水分調整、紫外線をカットするといった機能が備わっているのです。
また、繭から紡がれた絹糸の組成は、人間の蛋白質に含まれるアミノ酸と構成比率がほぼ一緒なことから抜糸の要らない手術の糸に使われていたりするのです。

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絹織物業は衰退産業とされていますし、興味が低く絹の魅力に気づくこともなかったのですが、この機会に私は改めて絹のすばらしさと魅力を知ったのです。思い立ったが吉日。
8年間暮らしていた東京を離れ、城端に戻りました。しけ絹の魅力をより沢山の方に知ってもらうためにも、今は勉強をしながら6代目代表となるべく修行中です!

 

松井さん

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実際に地元で働かれてみていかがですか?

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帰郷したばかりの頃は、家業を「5年で立ち直させる」と意気込んでいました。しかし城端での暮らしを送る中、地元の職人さんとの出会いで私の想いは変わっていったのです。
「自分が作ったものがどんな形で未来に残っているのか、後世の人にどう伝えていくか」など。私が出会った蒔絵師(まきえし)さんや大工の棟梁さんは100年、200年とずっと先の話をしているのです。

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そのような話を聞いて、これからは後世の人にどういった形でしけ絹を伝えていくかを探りながらも感謝されるものづくりをこの城端という土地でしていきたいという想いに変わっていきました。

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そんな想いがあり、生地卸でなく製品作りをということで、自社ブランド「JOHANAS」(ヨハナス)が立ち上がったのですか?

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はい。「JOHANAS」はしけ絹の新たな使い方を提案するブランドです。20〜40代の女性に向けて、しけ絹をもっと日常的に楽しんでもらいたいと立ち上げたブランドです。
名前の由来は私の大好きな城端(JOHANA)のスペルにシルク(SILK)の頭文字の「S」をつけて名付けました。ストールや心づけ袋、ご祝儀袋、など肌で感じることができる商品の展開を行っています。

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松井さんの今後の目標を教えて下さい。

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私の夢は南砺市産の絹をつくることです。
20数年前を最後に富山で養蚕をしているところは無くなりました。養蚕から繭の収穫、その繭から生糸の製造、そして製織まで、昔この地域で栄えた絹織物業を復活させたいです。

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また最近、ある方から「紀子さんは人と人の縁を紡いで幸せを織っている織り姫ですね。」と素敵な言葉を頂きました。その言葉通りの役目をこれからは果たしていきたいなと思っています!!

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最後にお聞きしたいのですが、いつも素敵な笑顔で迎えてくださる松井さんのエネルギーの源はなんですか?

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実は、この地域で6年前に大きな洪水がありました。襖の色が変わっていますよね?
そこまで水が上がってきたのですよ。その時、私はまだ東京にいたのですが、この工場は私が想像している以上の大きな被害にあり本当にショックでした。

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織機や糸繰り機も流されて。こんな状態になってしまったのにも関わらず、どうして工場を畳まなかったのかを父に聞きました。
「全くそんな気持ちにはならなかった。」とあっけらかんと父は答えました。

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そんな父の姿を見て小さなことでいちいち悩んでいられないなと思いました。そして、祖父や父がそんな大変な思いをしてまでも、この工場を残してくれたことにとても感謝しています。
また工場の復興に協力して下さった地域の方々にも感謝しています。だから、私はこの地元に恩返しがしたい、そして次の世代に恩送りがしたいという気持ちを励みにしています!

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松井さんから城端に伝わる沢山の素敵なお話をお伺いすることができました。帰郷を機に地元の歴史を調べるようなり、ますます城端の魅力に惹き付けられていくといいます。

歴史を尋ね、未来を導き開いていこうとする松井さんが織り出すものづくりにこれからも注目していきたいと思います。


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下山
下山 和希

東京の某アパレル会社でデザイナーを経て、2015年9月に金沢に移住。
北陸産地の工場や工房の訪問取材をしながら、金沢セコリ荘のディレクターを務める。金沢文化服装学院で教鞭も執る。